第十五章 後輩君から先輩ちゃんへ。

「はぁー・・・」
 大きく息を吸い込んでから、それを吐き出したのは小寺だ。部長が全額奢ってくれると言うので、さっきまで言い合いをしていたことは無かったことにして「ご馳走様でした」と頭を下げ、先に店を出た次第。一枚ドアを隔てた向こうに、加藤と田中の姿が見える。別に特別寄り添っている訳でも無いのに、何だか微笑ましい光景。本当に仲が良いんだなと、素直に思う。
 遅れて、橋本がその店から出てきた。加藤に何か言われたのか、後ろを向きながら、何か話しながら出てくる。が、加藤はまだ出てこない。一旦ドアを閉めて、小寺に気付いた。
「・・・お疲れ様です」
 他に適当な言葉が見付からなかったのか、橋本はどこでも誰にでも使用可な社会人必殺の挨拶を口にする。
「・・・お疲れ様です」
 小寺も手持ち無沙汰にその言葉を返し、橋本が加藤達の方を見たので、つられてそこを見ていた。
 が、一瞬早く橋本がそこから目を逸らし、小寺を呼ぶ。
「小寺さん」
「ん?」
 気付いて橋本を見上げると、さっきよりも少し近い場所で、橋本が小寺を見ていた。
「加藤さん達、もう一軒寄るかどうかって話してましたけど」
「もう一軒?」
 そう言われて、小寺は思わず宙を見上げる。時計は無いが、今何時頃かは分かっている。これからもう一軒だと、本当に一杯頼んでお終いだな。それともお茶でも飲むのかな? と、思った小寺に、橋本は呟くように言った。想像していた「どうしますか?」という、言葉ではなかった。
「帰りませんか? 二人で」
「・・・え?」
 そう聞き返した時、ドアが開く音がして、加藤と田中が出てきた。小寺は何かを誤魔化すように、一歩二歩二人に近付いて、もう一度「ご馳走様です」と頭を下げた。橋本が隣で同じようにしている気配を感じる。でも、そっちを見れなかった。
「小寺ちゃんと橋本君、この後どうする? 時間、あんまり無いけど、もう一軒行く?」
 顔を上げると、田中がそう言った。いつもだったら、迷うこともなく「じゃあ、行っちゃいますか」と、言うところだったが。
「・・・えと」
 小寺は、いつも通りではない言葉を言おうとして、詰まった。断りの言葉を、どうやって口にしたら良いのか、慣れていなくて。
 しかし、小さくなりそうな声を、勤めて大きく出そうと意識する。
「き・・・今日は・・・帰ります。もう、あまり時間もないし」
「そっか。そうね」
 あっさりと受け入れてもらって、小寺は少しホッとする。でも、田中の顔が見れなくて俯いていると、上の方から加藤の声が聞こえてきた。
「じゃあ、橋本。お前、小寺送ってけよ」
「はい」
「今日は家までじゃなくて良いからな」
「分かってますよ」
 そんなやり取りと笑い声が聞こえてきて、そのまま解散になってしまいそうな雰囲気を感じて、小寺は「あの」と、呟いた。そして、加藤と田中の前に寄って、言いにくそうにだがはっきりとこんな事を言う。
「あのー・・・加藤さん、と、田中さん・・・。えっと・・・ですね」
「?」
「??」
 二人は顔も見合わせず、不思議そうな顔をして小寺を見る。
 小寺は、緊張したように息をちょっと大きく吸って、言った。
「・・・さっきは・・・あたし、加藤さんにギャーギャー言ったし、認めないとか叫んだけど、ほ・・・本気じゃ、ないですから」
「・・・」
 小さな体に力を込めて、もう少し小さくしたような小寺の背中を見ながら、橋本はその言葉を聞いていた。一生懸命話していることが伝わってくる。
「加藤さんが可愛がってくれてるの、本当は分かっているし、二人が付き合ってるって知る前から、お似合いだから付き合っちゃえば良いのにって思ってた位だし・・・あの」
 そう呟いてから、小寺は肩を竦めて、多分笑った。照れ隠しとか、多分そういう理由で。
「だから、ずっとお幸せに・・・です。これからも加藤さんには素直じゃないこと言っちゃうと思うけど、本音は祝福してますから」
 田中は、そう聞いて隣の加藤を見上げる。そして、その顔を見て、心情を察したらしい。クス、と笑うと、小寺に近寄った。
「ありがと。小寺ちゃん」
 そう言って、小寺を抱きしめる。そして、笑って言った。
「多分ね。加藤君もこうしたい気持ちなんだけど、さすがに出来ないから代表してあたしがやっちゃいます。本当に、ありがと」
「・・・えへへ」
 その言葉に、小寺は笑った。多分、半べそをかきながら。
 その二人を見てから加藤を見ると、なんとも表現のしようがない顔をしている。敢えて言うなら、小寺を抱きしめて「感激した!」とでも叫びたいのを必死で堪えている・・・様な顔だ。分かり易い。
 何だか、なぁー。
 初めて思った。それを見ていたら、三人の関係が、何だか「羨ましい」って。


 二人に手を振って別れてから、小寺と橋本は駅に向かって歩き始めた。半べそをかいて、ちょっと恥ずかしそうにこっちを見ない小寺に、敢えて橋本は声をかける。
「やっと、全部解決しましたね」
「え? 解決?」
 慌てて目をゴシゴシしながら、小寺は橋本を見上げた。
「田中さんが小寺さんに付き合っていることを言わなかった理由とか。付き合ってるのかって聞かれてどういう気持ちかとか」
「あ・・・ああ・・・うん・・・」
 そ・・・そうか。と、小寺はまだゴシゴシしながら呟く。
「でも、まさか田中さんにあんなことを言われていたなんて思わなかったです」
「・・・人には言えない恋愛中ってやつ?」
「はい」
「・・・うん・・・」
 まさか、自分のせいだったとは。何となく責任を感じて、小寺はコメントのしようがない。
「・・・な・・・何か、全部・・・」
 ため息混じりに、小寺は呟く。
「あたしのせいだった・・・みたいだね。色々と、ごめんね」
 加藤はともかく、田中のことは困らせていた。それに、橋本にも迷惑をかけた。そう思うと、顔が上げられない。
「・・・別に、そういう意味じゃないんですけど」
「それは分かってるけど」
 けれど、橋本には色々としてもらい「過ぎて」しまっている。元々、何の関係もなかったのに、その中に巻き込んで、本当に色々と。そう思うと、小寺は何て言って良いのか分からなくなった。
 黙りこんでしまったけれど、声も出せない。しばらく自分の靴を見ながら、何か話さなきゃと思うが、何も出てこなくて、焦った。
「・・・良いですよ。気にしなくて」
 そう思っていたら、橋本がまるでそれを見透かしたように、そんなことを言う。
「?」
 不思議に思ってもう一度橋本を見上げると、橋本は笑って言った。
「面白かったから」
「・・・」
 それ、どういう意味?
 小寺は、とっさに言葉が出ない。だから不安げに橋本を見上げていると、橋本はそれに気付いて、もう一言をくれた。
「結果ハッピーエンドだったから、良かったんじゃないですか?」
「・・・ハッピーエンド?」
 呟いて、思い出す。
「・・・ハッピーエンドかー・・・」
 ・・・そっか。確かに、そうかもしれないな。色々とスッキリしたし。だから、もう・・・。
 そっか。
「これからは、橋本君にも迷惑かけずに済むね」
 寂しさ半分、を無視して、喜び半分で、小寺は呟いた。理由があったから過ごした有限の時間は、ただただ楽しいだけの思い出に変わった。本当に、これはハッピーエンドかもしれない。
「・・・小寺さんて」
「ん?」
「・・・あれですよね。結構、流されやすいですよね」
 まるで、世間話のように橋本が呟く。ガラリと変わった口調に、わざと話を変えてくれたのか。そう思った。
「・・・流されやすい?」
 そうかなぁ? と、呟いた。とりあえず、加藤には意味もなく反抗している気がするが。
「今回、俺が付き合っていることにしましょうって言った時も、遊びに行こうって言った時も、ずるずる流されたじゃないですか」
「・・・ああ」
 そこ? と、思って、確かに流されている自分に気付く。
「・・・そっか・・・。そうかも」
「でしょ? だから、さっき」
 小寺が見上げた橋本は、前を向いたまま、こっちを見ない。小寺はその横顔を見ながら、橋本の言葉を聞いていた。
「田中さんに『付き合ってるの?』って聞かれた時、俺、付き合ってますって言ってみようかなって、思ったんですけど」
 そう呟いてから、橋本が小寺を見る。そして笑って、からかうようにこんなことを言った。
「そしたら小寺さん、流されちゃいそうじゃないですか。だから、止めときました」
「・・・」
 その言葉に、ドキン、と、心臓が鳴ったのが、分かった。
 ビックリして。それから、その理由を理解して。だって、橋本がもし、そう言ったとしたら。
 自分は流されていたかもしれない。そう思ったから。
 それは、橋本との約束があったから、だ。・・・それから、多分。
 これは、仮定でしかない。だって、今はそういう状況でしかないから。だから、多分、だけれど。
 橋本と、そうなっても、良いかなって・・・思ったから、だ。・・・多分。
 橋本と、だったら。
 ・・・多分?
 小寺は、ちょっと酔っ払った頭をフル回転して、考える。思わず眉間に指を当てて、真剣に考える。
 それって、違っている。誤解されている。
 違う。だって、それって流されたわけじゃないのだ。橋本だったら、良いなと思ったから・・・だから。
 だから全部、受け入れただけなのに。迷ったけれど、結局「そうしたかったから」そうしただけなのに。そうだったのに。
 今更、そう気付きはしたけれど。
 でも、だから?
 これを橋本に、伝えるべきだろうか。別に、重要なことじゃ・・・ないような、気もする。
 ああ、でも、誤解だけは。
 嫌かも。
「あ・・・あの、あたし、さぁ」
 と、言いかけた声は、小さくて、自分にすら、聞こえなかった。
 それだけじゃなかった。橋本の声が、重なったせいもある。
「小寺さん」
「・・・え?」
 呼ばれて見上げると目が合って。
 そして何だか不機嫌そうな橋本に、動揺した。
 ・・・不機嫌? 後から考えれば、それは勘違いだったのだが。
「あの・・・」
「・・・?」
 言い辛そうにそう言って、橋本は珍しく言葉に詰まる。そして、驚いた表情の小寺に、ちょっと困ったような顔をして視線を逸らし、一息ついてからもう一度小寺に視線を戻した。
「・・・俺、それじゃ嫌だったから真面目に言いますけど」
 橋本が足を止めたので、それにつられて小寺も止まる。急にどうしたんだろう。辛うじてそう思っただけで、橋本が目を逸らした理由も分からない。
 言い辛そうに口にした、次の言葉の意味も。
「小寺さん。その・・・俺と、付き合ってもらえませんか?」
「・・・え? 何? どこに?」
 と、そこまで言いかけて、小寺の脳が急に回転し始めた。そして、その言葉の意味を理解する。
「・・・あ」
 急に心臓が早く大きく動き始めて、顔が真っ赤になるのを感じた。照れ? いや、羞恥心で。
 何も言えなくなってしまった。「馬鹿馬鹿馬鹿」と自分を責めながら、不相応な言葉を零した口を塞ぐだけで精一杯。
 脳裏に、ビックリしたような顔になった橋本だけが残っている。それは、ビックリしただろう。自分だってビックリした。
 穴があったら入りたい。本当に入りたい。というか、逃げ込みたい。
 違う。お願いだから、一分だけ時間を戻してーっ。
 と、目をぎゅーっと閉じて現実逃避していた小寺の上の方から、意外にも橋本の笑い声が聞こえてきた。
 あれ? あれ? と、思ってそのまま視線だけ一瞬上に向けると、橋本は可笑しそうに肩を震わせている。
「小寺さん」
「は・・・はい」
 あれ? そういうこと? え? どういうこと?
 と、混乱した小寺のことを分かっていて、だから橋本は笑って、こう言ったのだろう。「違います」と。
 素直だと知っていた。小寺が駆け引きをしたり、はぐらかしたり、そういうことをしないと知っていたから、それを受け入れた。
 本当に面白いことを言いますね。っていうか、今回はかなりベタですね。と、言いかけた言葉を飲み込んで、橋本は、今度は笑顔で好意を伝えた。さっきまで感じていた断られることへの恐怖が、薄れていることを実感する。何となく、小寺の受け答えに、断られてもきっと、今までと同じような日常が待っていると感じたからかもしれない。僅か時間に作り上げてきた関係は、多分、崩れたりはしない。だから、大丈夫。
 でも、出来ればもっと近くにいて欲しい。これって我が儘だろうか?
「俺、小寺さんのことが好きだから」
「!」
 そう言われて、小寺はさっきの発言の申し訳なさと恥ずかしさでひたすら肩に力を入れて震えている。
 その小寺を見て、どうにも堪えられない笑い声をもらしながら、橋本は優しい声でこう言った。
「俺の、彼女さんになってもらえませんか? って、言ってるんです」
「・・・」
 それを聞いて、真っ赤な頬を隠すように小寺は再び俯いてしまった。
 ビックリして。そして、恥ずかしくて。それから。
 理解の出来ない痺れに似た感情に、眩暈を覚えて。
 答えは決まっているのに、どうしてだろう。どうしてこんなに、急に感情が形を持って血や、皮膚や、感触を刺激するのだろう。
「ご・・・ごめん、なさい。あたし・・・」
 そう言いながら、誤解されたくなくて橋本に寄った。そして彼の腕に僅かに触れて、もう少しこのまま聞いて欲しいと願う。
 今までで一番近い場所で、小寺は精一杯声を絞り出した。その小寺に驚いて、橋本は立ち尽くしたままその言葉を聞いている。
「あたし・・・ち、ちっちゃいし、全然しっかりしてないし、あの、め・・・迷惑ばっか、かけちゃうと思うけど・・・」
 小寺の指から、震えが伝わってきた。その指に力を入れて、それを止めようとしているかのように少しだけ、ほんの少しだけ、もう少しだけ橋本に触れて、小寺は呟いた。
「そ・・・それでも良かったら」
 嘘みたい。と、思う。橋本が自分を好きだといってくれたこと。
 嘘みたい。そんなこと、全然分からなかった。
「・・・お願いします・・・」
「・・・」
 正に消え入りそうな声で、小寺は呟いた。その言葉を聞いて、安心したとか、嬉しいとか、他にも沢山の気持ちが混ざって、橋本は小寺の指に触れて言う。小寺の震える指を、治めるように優しく。
「何で、そんなこと言うんですか?」
 嬉しい。それから、ホッとした。
 本当に、ホッとした。小寺がちゃんと橋本の顔を見ていたら、それは表情から伝わっただろう。
 でも、彼女はほんの僅か後に、声と指でそれを知ることになる。
「俺が惚れて、お願いしてるのに」
 そう言って、橋本はゆっくりと小寺の手を握り締める。
「そんなこと、気にすることないじゃないですか」
「・・・だ・・・って」
 その手を握り返して、俯いたまま小寺は呟く。
「だって・・・」
「俺、ちっちゃいのも面白いのも、頼りないところも全部好きですよ」
「・・・」
 小寺が泣きそうな顔をして、それなのに驚いたように目を丸くして橋本を見上げる。
 やっと目が合って、橋本は思わず吹き出した。
「って、いうか。小寺さん。もしかして、そんなことも分からなかったんですか?」
「そ・・・そんなことって、何」
 目の淵に涙らしきものを溜めて、小寺はそれを零さないように頑張りながら呟く。
「種類は違いますけど、加藤さんも俺も、小寺さんが好きだから、からかってたんですよ?」
「・・・」
 それを聞いて何のバランスが崩れたのか、小寺がぽろぽろと涙を零す。それを隠すようにごしごしと目を擦って、それから小寺は首を振ってこんな事を言う。
「ちが、うもん。絶対、違うもん・・・」
 それが、小寺の照れ隠しと意地っ張りからの発言だとは、分かっている。でも、無条件でそれを認めたくなった。これが惚れた弱みだろうか。
「分かりました。訂正します」
 本当に子供か。と、思う。嬉しいのと可笑しいので笑ってしまいながら、橋本は小寺を慰めるように背中をとんとんと叩きながら僅かに抱き寄せて言った。
「俺はそうだったんです。可愛いなぁと思って」
「ば・・・馬鹿ぁ」
「ごめんなさい」
「・・・」
 素直に謝ったせいか、小寺は肩を震わせて泣き出す。
 こんなに静かに泣く小寺を初めて見た。でも、同時に少し近付けた気がして、嬉しかった。
「これからは、もうちょっと分かりやすく大切にするから許して下さい」
「・・・」
 その言葉を聞いて、小寺は泣きながら、ちょっとだけ笑った。可笑しくって。嬉しくって。
「・・・許す」
 そしてやっと顔を上げて、橋本と目が合うと、いつかのように肩を竦めて笑った。


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