第十三章 のんだくれでのんだくれ。

 がやがやと音と声がする。笑い声と話し声。食器が触れる音。
「こちらです」と、案内をしてくれた店員にお礼を言って、橋本は襖を開けた。思った通りの風景が広がっている。お座敷に、長テーブルが一つ。貸切の部屋だ。この部屋には何度も通された記憶がある。もしかしたらここの店は、この部屋をうちの専用にしてくれているのかもしれないとすら思う。
 居酒屋。のんだくれ。このネーミングセンスは、いつもどうかと思いつつ、うちの上司が正にこの状態になるまで頑張る人なので、あえて何も言うまい。類は友を呼ぶ・・・ではなく、店名は客を呼ぶのかもしれない。
「お」
「おー橋本。間に合ったかー」
「お疲れー」
 皆、気付いて声をかけてくれる。全体的に下からの声に、橋本は顔を向けながら答えた。
「お疲れ様っす」
 十人位が余裕を持って入れる個室に、ぴったり営業部十人が納まっていた。自分を入れると十一人。ちょっとだけ、気持ち狭くなりそうな予感。
 八時をちょっと過ぎていた。多分、この後の合流は確率的に低いだろう。橋本だって、これ以上遅れたらキャンセルするつもりだった。ギリギリだ。
「お・・・お疲れ様」
 飲んでいるのか、それとも熱気のせいなのか。
 はたまた別のせいなのか。小寺はちょっと赤い顔で橋本を見上げ、言った。
「あ」
 その声で、やっと気付く。
 見ると、入り口に一番近い位置に小寺。その隣に加藤が座っている。田中は一番遠い位置に居た。つまり、二人とは別の列の壁際だ。
 正直なことを言うと、加藤しか見えなかった。小寺は完全に隠れていた。気付いた今でも、加藤の隣にいるせいでちっちゃく見えること、この上ない。
 それを言うと、絶対に絶対に怒るので言わないことにする。
「昨日はお疲れ様でした。ありがとうございました」
 廊下も借りて膝を着き、小寺に言う。小寺は慌てて両手を振って、首を振った。
「こ、こちらこそ、ありがとうだよ。お疲れ様でした」
 仕事中、眠くならなかった? 大丈夫だった? そう聞こうと思った小寺より早く、加藤の声が二人の間に落下してくる。
「おい。橋本」
「はい?」
 その声に、小寺が背中側の加藤を振り返る。完全に酔っている訳ではなさそうだが、ちょっと血色が良くなっている様に見える加藤部長。
 一般人の感覚では大きな声で、こんなことを言った。しかしこれが加藤の地声であることは、社内全員が理解している。つくづく内緒話に向かない人だ。
「お前、昨日ちゃんと小寺送って・・・もが」
「もー! 加藤さん!!」
 小寺が、今度こそは真っ赤な顔をして叫ぶ。しっかりと加藤にちっちゃいと言われた手で加藤の頬っぺたを引っ張って。
「やめて下さい! こんなところで、そういうこと言うの!」
「そういうことって何だ!」
 頬っぺたも手に負えなかったのか、すぐに小寺の手を振り切った加藤は更に大声(一般人比)で言う。
「もーっ」
 じたばたしながら小寺は叫ぶ。しかし、加藤の地声よりも小さくて細くて、どうにも迫力がない。加藤の前だと、余計にない。
 それがもどかしいのか、尚もじたばたしながら小寺が叫ぶ。
「何で、そんなに声大きいのー!? 体も大きくて声も手も大きいって何よー!」
「はっはっは。何だ。羨ましいのか」
「羨ましくなんかないもん!!」
 でっか過ぎて邪魔なんですよぉー! と、確かに席のギリギリまで詰められてた小寺は、押し返そうと必死に加藤に体当たりをした。しかし、加藤はビクともしない。
「まだまだだな」
 そう言って、体重を小寺の方にかけると、小寺は簡単に押しつぶされそうになっている。
「やーめーてーよーっ。加藤さんの馬鹿ー!」
「馬鹿って言った奴が馬鹿なんだからなー」
「・・・」
 何やってんだか。と、一気に蚊帳の外に押し出された橋本は、呆れた顔をして立ち上がった。二人に構っていると、このまま腹を満たすことも出来ないと急に冷静になる。皆は飲み食いして満たされているかもしれないが、そんな席に空腹で参加するのは正直、酷だ。
 襖を閉めつつ、どっか入り易そうな所はあるかな? と、見回すと、田中の隣が広く見えた。
 まだギャーギャーやっている二人を置いて、橋本は田中の方に向かった。

「ここ、良いですか?」
 と、田中と話している営業事務の女の子に言う。その隣に座ろうと思って。
「あ、お疲れ様ー」
 と、田中とその子は声を揃えて言う。
「ここ、良いよ。私、お酌してくるから」
 田中の隣を譲って、彼女はビール瓶を持って立ち上がった。もう戻ってこないつもりなのだろう。自分のコップもしっかり持って臨戦態勢だ。
「すいません」
 お邪魔します。と、言いかけて、小寺が車に乗る時にそう言っていたことを思い出す。そして笑いそうになって、慌てて田中とは逆に視線を向けた。座る瞬間のことだったから、田中は何とも思わなかっただろう。そして橋本が見た先では、ちっちゃい人とでっかい人がまだギャーギャーやっている。
「飲み物頼んだ?」
「あ、はい」
 案内をしてくれた店員に、もうすでにオーダー済みだった。もうすぐ生ビールが届くだろう。
「もー、腹減って腹減って」
 笑いながらそう言うと、田中も笑って言う。
「あたし、もうお腹いっぱい」
「羨ましいっす」
 何を頼もうかなー。炒飯は昨日食ったしなぁ。と、メニューを見ていた橋本は、唐突に思い出した。そういえば昨日、チケット貰ったのに、田中に礼を言っていない。
「あ。田中さん」
「ん?」
 マドラーでカクテルを混ぜていた田中が、その手を止めて振り返る。
「昨日、映画のチケット、ありがとうございました」
「ん? ・・・ああ・・・」
 そうね。そうだったね。と、田中は呟いてから、にっこり笑う。声も笑顔も優しい。だからこそ、美人なのに近寄りがたいという気分にさせないのだ。
「ううん。何か、逆にごめんね。ギリギリのチケットで。面白かった?」
 小寺が近くにいて、程よく酔っていたら「お姉様ー」と言いながら抱き付いていただろう。確かに、本当に綺麗だと思う。
 でも、小寺は同性なんだから、程々にしたほうが良いと思うぞ。と思うが、その気持ちも分からんでもないので気にしないことにした。
 それにしても、まぁ。このカップルは小寺を惑わしまくっているな。と、この時にやっと気付く。
「はい。結構面白かったです。正直、全然知らない映画だったんで、期待してなかったんですけど」
「そう。なら良かった」
 そう田中が言った時に、橋本のビールが届いた。とりあえず腹ごしらえ、と、焼きうどんとサラダを頼んでから田中と乾杯する。
「遅くならなかった?」
 一気に半分ほどを飲んで、泡を舐めながら一息ついた橋本に田中は言った。
「えーと・・・家に着いたのは一時近かったですかね」
「え?」
 あれ? そんなに遅いレイトショーだっけ? と、目を丸くした田中に、橋本が首を振る。
「いや。あの」
 違います。と言いかけて、さっきの小寺の反応を思い出す。知られたくないんだろうか。自分が送っていったこと。そう言えば今日も社内で一緒だったはずなのに、田中にも話してないのか、と思う。
 でも別に隠すことでもないし、田中は声が大きくもないし、多分小寺の気持ちを汲んでくれるだろうし、と、色々考えた末、橋本は正直に言った。
「・・・小寺さん、家まで送ってたんですよ。だから」
 あの後、もう少し話して小寺を帰した。そして、自分の家に帰ったのは十二時五十分位だった。よく見ていなかったが、小寺は多分半頃に家に帰った計算になる。それも田中に話した。
「・・・あ・・・そう」
 その言葉に、田中は中途半端な反応を見せた。実は今日、小寺に映画のお礼を言われた時に「楽しかったです。それと・・・えーと・・・」と、何かモゴモゴ言っていたが、ちゃんと聞かないままだった。多分、そのことを言おうとしたんだろう。だけどきっと、言いたくても言えなかったのだ。照れて。
「・・・ふーん・・・」
 何だか良い雰囲気を感じ取って、田中は嬉しそうに言う。
「橋本君、紳士だね」
「いや・・・」
 まあ、最初からそのつもりがなかった訳ではないが、照れ隠しと事実も伝えておくことにする。
「会社出る時に、加藤さんに言われたんですよ。ちゃんと小寺さんを家まで送っていけって」
「え? そうなの?」
 あららら。と、そんな事を呟いて田中はまた笑う。
「ほーんと・・・」
 焼き餅にはならないらしい。可笑しそうに笑って田中は呟いた。
「小寺ちゃんのこと、可愛くて仕方ないんだね。分かり易いね。あの人」
「でも、まー・・・」
 それでも、本人は気付いてないみたいですけどね。と、昨日の話しをすると、田中はまた笑った。どうやら小寺が惑わされているだけではなく、小寺も二人を惑わしまくっているようだ。随分微妙なバランスを保って、うまく回っているもんだなぁ、と橋本はちょっと感心した。
「あ、橋本君。サラダ来たみたいだよ」
「お。やっときました?」
 と呟いて、田中の声に出入り口に視線を向けると、男性店員の姿があり、皿を持っている。追加注文したのが自分だけのようだったので、間違いないだろう。あー。やっと飯が食える・・・。
 ・・・と、そこまでは良かった。
「あ」
 と、橋本が呟く。そして、人伝に回ってきたサラダを目の前に置いて「ちょっとすいません」と、田中に一声かけてから立ち上がった。
「?」
 ビールが無くなったから、頼みに行ったのかな? と、思った田中の前で、橋本は慌てた様子で開きっ放しの襖の向こうに消えていく。店員は、とっくに下がった後のようだ。どうやらサラダを持ってきた彼が襖を開けっ放しにしてしまったらしい。
 そして彼を追って行ったのかと思いきや、下に向かって何かを話している様子の橋本が、すぐに影に消えた。どうも様子がおかしい。
「?」
 廊下に誰かいる・・・?
 田中は、その様子をしばし伺う。そして、気付いた。
 加藤君の隣に小寺ちゃんが居ない。
「・・・」
 色々考えた結果、覗きに行きたい気もしたが、あえて我慢することにした。


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