第十二章 映画館で気付いたこと。

「映画なんて久しぶりー」
 メジャーな映画じゃないからなのか、通されたのは小さなホールだった。しかし、客が殆どいない状態なので、狭さや不自由さはまったく感じない。こんなんで経営成り立つのかな。と、橋本はやけに現実的なことを考えていた。
 しかしレイトショーだし、木曜日だし、こんなものかも。とも思い直す。
 映画館に入ったばかりの頃はキャラメルポップコーンの香りにクンクンしていた小寺だが、夕食が十分だったのか、それを欲することなく席に着いた。
「橋本君は映画館とか良く来る?」
「全然来ないです」
 小寺の隣に腰を下ろし、小寺とは反対側に鞄を置く。そして小寺のほうを向き直って言う。
 席が、かなり近い。小さいというべきか。そんな気がする。だから余計近く見えるのか。
 だが小寺が小さいからなのか、窮屈さは感じない。そして、そのせいで多分小寺と距離は、今までの中で一番近かったのだろう。現に、顔を傾ける角度がいつもよりも急に感じた。
「どうしても見たいのはレンタルとかテレビでやるまで待ってれば良いかって感じで」
「そっかー」
「小寺さんは?」
「あたし?」
 小寺もひざに置いていた鞄を隣の席に移動させながら聞き返してきた。
「あたしも、全然見に来ないなー」
 スクリーンの方を、見下ろすべきなのに何故か見上げるようにして見ながら呟く。
「この前来たのは、一年半くらい前かも。年末のね・・・」
 そして小寺が口にしたのは、監督が有名な邦画だ。橋本も聞き覚えがある。そうか。もう一年半前の映画なのか。と、思った。その頃には、まだ会社に入っていなかった。小寺にも、出会っていなかった。
「面白かったですか?」
「泣けたよね・・・」
 小寺は遠い目をして呟いた。
「ハンドタオルがグジャグシャになる位に泣いたよね・・・。でも、映画館じゃ思いっきり泣けないし苦しくってさ・・・。おまけに、そのお陰で次の日、目が腫れてさぁ・・・」
 ははははは・・・。と、楽しい思い出なのかそうじゃないのか分からない表情で小寺は呟く。
「その点、コメディは良いよね。うん」
「・・・はぁ」
 色々不自由な人だなぁ。と、思っていたら、回りが急に薄暗くなった。
「あ」
 と呟いた二人が我に返ると、周りに客が増えている。ヒソヒソと話す音が、急によく聞こえ始めた。
 とはいえ、自分達を入れて十人いるかどうかだ。それぞれに距離をとり、パッと見では視界に誰も入らない。話し声も、聞こえても内容を理解するまでは聞こえない。
「始まるねー」
「そうですね」
「なんかさー」
「?」
 橋本は隣の小寺を見た。真っ暗になった瞬間に、スクリーンに映し出された光で、小寺の横顔が見える。小寺は肩を竦めてスクリーンを見ていたが、橋本に気付いてこっちを見た。
「この瞬間が、一番わくわくしちゃうよね」


 周りの暗闇も手伝ってか、すぐに自分一人だけのような感覚になった。さして期待もしていない橋本は、椅子に浅く腰掛けて足を組み、背もたれに体重をかけてちょっと楽な格好で観賞することに決めた。
 映画の内容は、ありがちと言えばありがちな、恋愛コメディだった。・・・が、ありがちと言いがたい程に、どたばた具合が飛び抜けている。ストーリーには全然関係の無い宇宙人らしき生物が普通に街中を歩いていたり、深刻な話をしているカップルの背面で本気のドッキリ撮影が行われていたり。
 とにかく、話の本筋が見え辛い。というか、外野が気になって主人公に感情移入が出来ない。・・・のに何となく筋は追えて笑えてしまうという、映画として良いのか悪いのか分からない作品だった。こんな映画を作るあたり、さすが外国人。・・・と、思っても、母国の人にこれが受け入れられているのかどうかも分かったものじゃない映画である。吹き替えの声が、いきなり関西弁にシフトしたときは、呆れを通り越して感心してしまった。やりたい放題だ。
 まぁ、気楽に見るには良い映画かも。と、好きとも嫌いとも言いがたい印象を受けた橋本の隣で、小寺が動く気配がした。
「?」
 気付いて横を見ると、小寺は隣に置いた鞄をごそごそ探っている。何やってるのかな? と思って見ていたら、ハンドタオルを出してきて、それを両手に持ち口を塞いだ。
「??」
「・・・ん?」
 小寺が、橋本が自分を見ていることに気付き、多分橋本が疑問に思っていることに気付いたのだろう。体を傾けて橋本に手招きをした。
「??」
 橋本が耳を近づけると、小寺はタオルの隙間からコソコソと内緒話をした。
「な・・・なんでやねん、は、なくない?」
 その声は震えている。
「は?」
 スクリーンの端っこを見ながら、橋本は小寺に聞き返す。
「んで・・・ツッコミがアッパーて」
 いつの間にかグローブ装着してるし。あはははは。本当はそう声を上げて笑いたかったのだろうが、小寺は慌てて口を塞いだ。そして、涙目になりながら肩を震わせている。
 ・・・そんなに面白かったかなぁ? と、橋本は思った。
 思ったけど、小寺があんまりにクスクス笑っているから、つられて思わず笑う。ビックリする位、久しぶりにあんまりにも素直に笑ったものだから。
 その感覚で、橋本は色々なことを一気に理解した。まるで、せき止められたダムが開門され、水が溢れてくるかのように、自然に。
 あー。やっぱり・・・。
 理解していた気持ちを、今度は誤魔化さずに思う。
 俺、小寺さんのこと好きだわ。
 楽なんだ。急に、それを自覚した。空気のような存在とか、慣れ親しんだ関係ではないけれど、楽なのだ。小寺といると、楽しいから。
 体の力が抜けてくる。それが心地良いと、気付いた。
 それは多分、小寺が自然体でいてくれるからだろう。素直に、自分の気持ちを口に出してくれるから。顔にもすぐ出るから。彼女の気持ちを、ちゃんと理解出来るから。
 そんな彼女を、可愛いと思える。気を使わなくても、無理しなくても、小寺が沢山楽しんで感謝の言葉も口にしてくれるから、素直にもっと楽しませたいと思える。
 定食屋で感じた不思議な気持ちは、多分これだった。気を使ってもいないのに。普通のデートで連れて行ったら拗ねられるような場所だと思っていた所で、あんまりにも楽しそうにしているから、多分意識もせずに気にしていた、ほんの僅かな心配が消えたのだ。単純すぎて、理解すれば理解出来なかったことを不思議に思う。
 どうしても解けなかった問題を、やっと解けた時の気持ちに似ている。解けて見れば、何て単純なものだっただろうと思う気持ちも似ている。そして、その達成感も同じ。
 小寺は、どう思っているんだろう。自分のことを、どんな風に理解しているんだろう。急に気になったけど、とりあえず今が楽しそうな小寺を見ていたら満足してしまった。
 そんな橋本に気付いて、ほぼ間違いなく橋本の深い部分までは理解せずに、でも小寺は目を細める。
 暗闇の中。スクリーンに映し出される白い光の中で、二人は顔を見合わせて笑った。


「面白かったねぇー」
 ウキウキとしながら、小寺は足取り軽く言った。
「世界で一番、小寺さんがあの映画で笑えた人だと思いますよ」
 橋本は正直な気持ちを口にした。よくそんなにスッキリした顔をしてられるな。と、思う。
 最終的には、あれはびっくりする位に凝った映画だった。凝り過ぎて、一度見ただけでは理解出来ない映画だった。二回目に見る時の方が楽しめるだろう。それも、一回目の記憶が薄れない内に。むしろ、二回続けて見ても良い位だ。現に橋本は、ちょっとモヤっとしている。
「え? そうかなぁ?」
「そうかなぁって・・・」
 そう呟いて、橋本は確かめるようにこんなことを口にした。
「あの、主人公の後ろでドッキリの撮影してたじゃないですか」
「うん。いきなり落とし穴に消えてった二人組みでしょ?」
 歩き始めた橋本の隣を歩きながら、小寺は答える。
「あれ、多分主人公のカップルですよ」
「え?」
 小寺はその言葉を聞いて、こめかみに自分の人差し指を付ける。
 そして、もう一度聞き返した。
「・・・え? でも、手前で二人が別れ話してたよねぇ?」
「だから・・・」
 やっぱり分かってないんだ。そう思いながら、橋本はこの人、一体どういう終わり方をしたと思ってるんだろう。と気になる。
 気になったが、橋本は続きを口にした。
「その別れ話をしたレストランを出た後、二人はいきなり意識を失うじゃないですか。というか、レストランから出た後、急に真っ暗になったじゃないですか」
「うん」
「そういう・・・何て言うのかな。あの二人、不自然な突発的な事故に何度か合いますけど、その度にちょっと先のことを外野でやってたんですよ」
「・・・ん?」
「だから、それを組み合わせていくと色々と理解出来るようになるんですが・・・とりあえず、あの二人はレストランを出た後、ドッキリの仕掛けに二人で嵌ったんです」
「・・・えーっと・・・」
 こめかみに当てた人差し指をぐりぐりしながら、小寺はさっきの映画を思い出していた。
「じゃあ、あの宇宙人みたいのも? 何か関係あるの?」
「あれはですね・・・」
 宇宙人は、映画の中盤で街中に現れた。が、最初の方でも主人公が寝ている窓の外で宇宙に帰っていくシーンがある。後から宇宙人が出現してくると、あれはこの宇宙人だったと理解出来るのだが、最初では分からない。ただ、何かが宇宙船に吸い込まれていくシーンがあるだけのだ。
 さて。現れるシーンならまだしも、帰っていくシーンがあるということは。
「宇宙人が街中を歩いていた時、主人公の二人はけんかしてバラバラだったじゃないですか」
「うんうん」
「でも、宇宙人が帰っていくシーンでは仲良かったでしょ?」
「別れる前でしょ?」
「あれは、別れた後に仲直りをしたんです」
「・・・え?」
 立ち止まりそうな小寺をとりあえず歩かせながら、橋本はあーでもないこーでもないと説明した。説明しながら、何となく話の筋を理解し始める。
 要は、あの映画は時間をバラバラに、または重ねて組み合わせたものだった。主人公二人がアップにされている背景に主人公が映っていたり。倒置法で映像を流されていたり。巧妙な組み合わせだが違和感を感じることも多分わざと仕組まれていて。
 随分ギャンブル要素の多い映画だった。この謎解きが出来なければ、ただの駄作にしかならない可能性もある。
 これは反則技かもしれないが、あれはもしかすると最初にストーリーを全て分かっていてこそ、楽しめる映画だったのかもしれない。と、橋本は思う。これはストーリーというよりも、ゲーム感覚でこそ楽しめるものだ。
 ちなみに後で分かったことだが、この映画のあらすじはラスト以外全て事前に公開されていた。それを踏まえて見ると、早い内にそういう仕掛けに気付くようになっていたのだ。多分。ちなみにそれを知った時、タダ券だったにもかかわらず、ちょっとだけ損した気分になった橋本だった。
「じゃあ・・・あの・・・」
 多分、今更理解が追い付いてきたのだろう。小寺は確認するようにこんなことを言う。
「ラストって・・・あの二人さぁ。映画の中では結婚して幸せそうだった・・・けど」
「なかなか捻り効いてますよね」
 橋本が、ちょっと意地悪く笑って言う。
「お祝いに来ていた人たち、凡そ主人公達よりも年上の人たちばっかりでしたけど、あれ、細かく年代が分かれているのに気付きました? 主人公の目線では映像になりませんけど、あの人達、主人公達の結婚後の姿ですよ」
「やっぱり? じゃあ・・・」
 そう言われて、小寺は思い出したように吹き出した。
「若い女の子に声かけてたおじいちゃんが、太目のおばあちゃんに絞め技食らってたの、あれ、主人公の老後?」
「でしょうね」
「あはははは」
 理解して「すごいすごい」と言いながら、小寺は腹を抱えて笑っている。再び小寺に笑いの神が光臨したようだ。
「で」
 その隣で、橋本が苦笑して呟く。
「あの宇宙人は結局、話の前後を伝えるためだけの出演ですよ。そこら辺の手の抜き方が、ある意味凄いですよね」
「完全にキグルミだったもんね」
 不自然な、周囲から浮きまくりの宇宙人。それなのに、宇宙船に帰っていくシーンだけはやたら凝った作りだった。この映画を作った監督は凄い天才か、ただの馬鹿だろうと思われる。
 そう。だからこそ、印象に残って話の筋が通りやすいのかもしれない。今更、そんなことに気付く。思えば最初に違和感を覚えたのが、この点だった。それで話の前後が間違っていることに気付いたのだ。
「小寺さんは・・・」
 そして今更、疑問に思っていたことを聞いてみた。
「一体、どういうあらすじだと思ってたんですか?」
「え? まんま。そのまんまだと思ってたよ」
 仲の良かったカップルがすったもんだの末、結局別れる。しかし、数年後には結婚する。
 橋本の読み取ったあらすじは、間逆だった。別れたカップルが色々あったが結局ヨリを戻し、数年後に結婚する。
「だって・・・」
 正直に呆れた口調で橋本は呟く。
「喧嘩別れして、その後なんで結婚なんですか?」
「いやー。ほら、パッと画面が暗くなってさ。『その数年後』って出たじゃん」
「はぁ」
 それまでが、橋本と小寺のストーリーの食い違っている分岐点である。
「その数年で、まぁ色々あってヨリが戻ったんだろうな。と」
「・・・」
 大まかにも程がある。が、それでもかろうじて成り立つのがさっきの映画だった。不自然さは残るが、それまでの経過をただのコメディとして見るのなら、そういう展開も飲み込めなくは無い。
「すごいねー。一粒で二度美味しいねー」
 キャラメルじゃないんだから。というツッコミが出そうになったが、橋本は辛うじて堪えた。
 さて、映画の話もひと段落付いた。
「じゃ、スッキリしたところで行きましょうか」
 にっこり。ちょっと不自然な位の笑顔で橋本は言う。
「え? どっか行くの? これから?」
 その笑顔に、小寺は警戒するどころか心を許したようだ。キョトンとした顔で聞き返す。
「うち、行きましょ」
「うち?」
 うち? もう一度そう呟いて、小寺の足は動いているものの前進をやめた。
「うち? って? 誰んち?」
「だから、うちです」
 その小寺の襟足辺りを軽く摘んで、前進させながら橋本は言う。
 これがもし加藤だったら、本当に摘み上げていただろう。小寺もつられて「にゃーにゃー」とか「しゃーっ」と猫のまねでもしていたかもしれない。
「なななな? 何でー?」
 色々想像することもままならないまま、小寺はとりあえずの疑問を口にした。今のところ、青さも赤さも顔には出ていない。本当に意味が分からないのだろう。
「正確には、駐車場です」
 とりあえず進んで。と、ポンと背中を軽く叩いて小寺を促してから、橋本は時計を見た。十一時十分。うちに四十から五十分に到着。小寺の家に着くのは十二時過ぎるな。と計算する。
「ちゅ? 駐車場?」
 また、小寺の「何で? 何でー?」が始まったので、小寺とは違う路線の、いつも自分が乗っている電車の改札に半ば強引に誘導しながら、橋本はまた笑った。
「今日は送りますよ。小寺さん」
「え?」
 その言葉に、小寺は真っ赤になった。そして、じたばたとしながらその場で足を止め、これ以上進むことを拒む。
「いい」
 おろおろ。それを体全体で表しながら、小寺は言った。
「良いよ。そんな。大丈夫だよ。あたし、ちゃんと帰れるから」
「駄目です」
 にべもなく強引に突っぱねて、橋本は最後通達をした。
「俺、平社員なんで、部長の業務命令には逆らえません」
「か・・・加藤さん?」
「ですね」
「い」
 それこそ、本当の本音で小寺は叫んだ。
「良いよ。加藤さんの言うことなんか、真に受けなくて良いんだよー」
「・・・というのもありますが」
 もう一度、トンと小寺の背中を押して橋本は言う。
「本当に心配なんで、送りますよ」
「・・・」
 そう言ったら、小寺が目を丸くして、頬を真っ赤に染めて、固まった。


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