第七章 お姉さんは様子を伺う。部長は泣く。2

 二人が来たのは、全国展開しているコーヒーチェーン店だった。ココアココア言っていた小寺は、堂々とココアを注文する。散々「ココア」を聞かされて、橋本もココアにしようか迷ったが、甘そうなのでカフェモカにした。
 お会計を先に済ませると「ご馳走様です」と言ってから、小寺の向こう側を見ながら橋本は言う。
「運びますから、先に座ってて良いですよ」
 店内は週末のせいか、この時間帯でも割と混んでいた。それを見て、先に席を取っておいた方が良いと小寺も理解したのだろう。
「分かったー」
 と、言って遠ざかっていくが、しばらくきょろきょろしてからまた戻ってくる。
「?」
 まだ席は空いてるけどな? と思った橋本の元まで来た小寺は「橋本君、カウンターとテーブル、どっちが良い?」と、慌てた様子で言った。後から来た客に、席を取られないか相当気にしているらしい。
 子供か。と思いながら「どっちでも良いですよ」と言うと、小寺は一目散に窓際のカウンターの席に走っていった。

「はい」
 と、アイスココアを渡すと。
「ありがとう」
 と、満面の笑みで小寺は受け取る。そして、上に載っているホイップをストローでぐりぐり。
 その隣で、ぐりぐりするストローの無い橋本は、ホットのカフェモカをちょっと頂いた。甘くて、ほろ苦くて、久しぶりに飲むと結構美味しい。
「・・・確かに、珍しいですね」
 そうしてから橋本は、大事そうに両手で持ってココアを飲んでいる小寺の方を向いて言う。
「小寺さんと田中さんが夜出掛けるなんて」
「たまーに」
 そう言ってからもう一口飲んで、小寺はココアをテーブルに置いた。そして改めて右側の橋本の方を向く。
「誘ってもらえるんだぁ。前回はー・・・半年近く、前だったかなぁー。あれ? 年末に行ったかな? ん? ・・・あれは、営業部の飲み会か」と、記憶を取り出すのと一緒に言葉が出てくる。
 とりあえず、たまーの出来事だということで橋本は納得した。
「・・・の割に、早めに終わったんですね」
「うん。なんかね」
 ぐりぐり。またストローとホイップで遊びながら小寺は応える。
「今日はね。これから約束があるんだって。だから九時半頃にはお開きになったかなぁー」
「・・・そうですか」
 自分と加藤も、同じくらいの時間に店を出たな。と、思い出す。ということは、多分今、二人は逢引しているのだろう。
 だったら何で、自分や小寺を誘ったのかが分からない。デートするなら、二人で最初から会えば良いのに。もしくは四人で飲みに行ってもいいのに。
「・・・」
 うーん。と、余り考えたくないことを考えながら、窓の外を見る。駅前だからなのか、ひっきりなしに人が行きかっている。二人もこの中に紛れているのかも知れない。
 そして隣に視線を戻すと、小寺が物凄く幸せそうな顔でココアを飲んでいた。今日、加藤と飲みに行った話はしていないが、それを聞いて自分と同じような疑問を抱くのだろうかと考える。
 ・・・思わないだろうな。ココア飲んでれば幸せそうだ。
 その顔を見ていると、もうどうでも良いや。という気持ちになってくるが、とりあえず今日の飲み会のことを聞いてみる。
「どんな話するんですか? 二人で飲みに行って」
「うーんとね」
 小寺は宙を見上げて、思い出すような仕草をする。
「仕事のこととかー。最近どこに行ったとかー。美味しいレストランの話とかー」
 そして小寺は思い出したのか、照れくさそうに肩を竦めて、話題とは全然関係の無いこんなことを言う。
「でさー。田中さん。綺麗なんだもんなー。みとれちゃうよねー」
「・・・相当楽しかったみたいですね」
 こっちが訳の分からないお叱りを受けている間、小寺は田中と(を?)満喫していたらしい。
 そう思ったら、何だかどっと疲れて頬杖を付き、小さなため息を付いて橋本は窓の外を見た。相変わらず、人の流れが終わらない。
「あ。あとねー」
「はい?」
 小寺の方を向くと、彼女はまた宙を見ながら呟く。
「『小寺ちゃん。何か、最近良いことあった? 楽しそうだよ』って言われた」
 その時の田中の表情も、何だかとっても楽しそうで、小寺は訳も分からず嬉しくなった。それを思い出して「でへへ」と、変な笑い方をしてしまう。
 隣でうつ伏せになっている橋本が、その変な笑い方のせいでそうなっていると誤解した小寺は、橋本と同じ情報を共有しても、やっぱり何も思わなかったのだろう。
 だから色々な予想を告げる気にもならず、橋本は力なく笑うしか出来なかった。


「気持ち良いね」
 外に出ると、小寺は目を閉じて深呼吸して、そう言った。確かに最近、心地良い気温の夜が多い。昼は暑かったりする日も増えたが、夜は本当に過ごしやすい気温になった。こんな時期もすぐに過ぎ、梅雨が来て、すぐ夏になる。
「そうですね」
 つられて心持ち深く息を吸い込んだ橋本は、その気候だけではない心地よさを感じた。多分、小寺が楽しそうにしているからだろう。楽しそうな人の傍に居て、不快なことは滅多に無いものだ。
 気付くと小寺はいつも、そんな気持ちをくれる。いや「気付いたから」だろうか。気付く前はどうだったか、もう覚えていない。
「電車、大丈夫ですか?」
 時計を見ると、十一時。とりあえずで聞いてはみたものの、まだ大丈夫だな。と、思う。
「うん」
 その時計越しに。
 聞こえてきた小寺の声。
 思わず時計から目を逸らし、小寺を見た。
「橋本君も、大丈夫?」
 橋本と目が合うとそう言った小寺は、笑顔で。凄く明るく見えて。
 とんでもなく、小さく見えた。
「・・・大丈夫です」
 思わず目を逸らして、動揺を隠してしまう。その意味を、橋本は理解した。
 小さいというのは、小寺の身長の話ではない。何だかこんな中途半端な暗闇が。
 明るいといっても良い駅前の暗闇が。
 それすらも小寺にとっては危険に見えてしまって。
 冗談のような本音を、冗談めかして口にする。
「・・・飲んでなきゃ」
「ん?」
「家まで送って行けたんですけどね」
「・・・」
 その言葉に、少し。
 小寺の足が遅れた。
「?」
 その変化に気付いて橋本が立ち止まると、小寺もつられた様に止まる。
「・・・どうかしました?」
「・・・橋本君・・・さぁー」
 小寺は、真っ直ぐに橋本を見上げる。そして、しばらくすると肩を竦めて。
 ちょっと頬を染めてから、可笑しそうに言った。
「本当に優しいねー」
「・・・」
「何か、意外だなぁー。あ、別に優しくなさそうって、思ってた訳じゃないんだけど」
 えーと。あのー。と、小寺はあまり深く考えて言葉を口にした訳じゃないのか、続かない言葉を何となく繋いでいたが。
 最後「うん」と頷いてからハッキリと、こんなことを言う。
「良いと思う」
「・・・小寺さんて」
 その言葉に、照れ隠しと本音で橋本は答えた。
「騙され易そうですよね」
「えー? 何それ」
 歩き始めた橋本の背中に、小寺が追い付いて抗議の言葉をぶつけてくる。
「橋本君。嘘つきなのー?」
「嘘つきじゃないですけど」
 勘違いされても、困るんだよな。という気持ちで橋本は呟く。
「優しい訳じゃないですよ。俺」
 少なくとも、こんなことを誰にでも言う訳じゃないのに。
 多分、小寺は分かっていないだろう。大体、こんなことをそこら辺の女の子に手当たり次第言っていたら、とんでもない遊び人だ。そうは思わないのだろうか?
 それとも、小寺は自分のことを遊び人だと思っているのだろうか。確かにそんな風に思われやすい見てくれではあるけれども。
「優しいよー」
 追ってくる小寺の声に、橋本は不思議な感覚を覚える。そう言われると、もう少し手を抜いても大丈夫か。と、思うかと思っていたのに。
 そんな小寺に、もう少し優しくしたくなる。そう言ってくれることを、裏切りたくないと思う。
 でも、ハードルは下げていて欲しいし、自分も素直じゃないから。
「小寺さんて」
「ん?」
「知らない人に、飴上げるから付いておいでって言われたら、付いて行っちゃいそうじゃないですか。だから」
 冗談で言ったつもりが、あながち間違ってないかも。と思った橋本は、顔を逸らしながらちょっと笑ってしまう。
 その橋本の横斜め下で小寺が叫んだ。
「失礼な。そんな子供じゃないよ!」
「じゃあ、美味しいケーキ、奢って上げるから。とか」
「え?」
 ケーキ? と聞き返した小寺の顔は、ちょっとだけキラッと輝く。
 どんだけ甘いものが好きなんだ。と、呆れながら橋本は攻めた。
「ゴディバのチョコとか」
「う・・・」
「限定スイーツとか」
「・・・」
 限定・・・。
 限定かぁー・・・。
 小寺は呟きながら、本気で考え込んでいる。橋本がからかっていることを忘れ、本気でそれを勧められているような、ちょっと嬉しそうな顔をしている。
「・・・小寺さん」
 本気で呆れて窘めた橋本の声に我に返ったらしい小寺は、豪快に笑ってこう言った。
「いや。ほら。あたしもう大人だから。ちゃんと自腹で食べるよ?」
「そういう問題じゃないです」
 本当に大丈夫かな。この人。と、本気で心配してしまう自分に苛つく。
 もうちょっと自覚してくれないだろうか。はたから見ていると、本当に小さくて弱々しく見えるのだから、もうちょっと警戒心を持って欲しい。それでなくても若い娘さんなんだから。と、思わずお父さんのような気分になってしまう。
 そんなに行きたいんなら、俺が連れて行きますよ。と、息を吸って口の外に出す寸前で、踏み止まった。
 それだけじゃない。さっきから本当は、明日の予定だって何となく探ろうとしてしまっている言葉を飲み込んでいる。簡単に出てしまいそうな二回目のデートの誘いを、不相応な大きさの箱に無理やり何かを詰め込むように堪えている。
 何故か。もう、冗談半分で小寺を誘えなくなっているからだ。小寺に何かの予定があって、断られることを避けたいと思っている。それに、何となくでそんなことを続けてしまうことが嫌だと思ってしまったからだ。もう少し、大切に捉えたい。そして、小寺にもそれを望んでしまっている。だから、簡単な言葉では誘えないのだ。
 面倒くさいと思う。正直。でも、だからと言って、投げ出せない位には大切な感覚。
「えと・・・え・・・と、は・・・橋本君・・・」
 ちょいちょい、と、袖を引っ張られるのと一緒に、小寺の声が聞こえてきた。見ると、斜め下に小寺の心配そうな顔がある。
「お・・・怒ったの?」
「・・・」
 わしゃわしゃわしゃ。と、どっかの歯科医師がしていたみたいに、小寺の頭をぐしゃぐしゃにしたい気分になる。それをぐっと堪えて、橋本は本音じゃないこんなことを口にする。
「怒ってませんよ。怒ってないですけど、しっかりして下さいよ。お姉さん」
「・・・」
 お姉さん。それを、嬉しいと思ったのか。照れ臭いと感じたのか。
 てへ。と、笑った小寺を見て、どう見てもお姉さんには見えないなぁ。と、橋本は心の中で苦笑した。


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