第七章 お姉さんは様子を伺う。部長は泣く。

「小寺ちゃん。今日の夜、暇?」
 田中からそう声をかけられたのは、金曜日のお昼のことだった。
「仕事の後ですか? 暇ですよー」
 相変わらず小動物見たいな食べ方で、菓子パンをもぐもぐしながら小寺は答える。ちっちゃいくせに「でかいコーンパン」とか書かれているパンを食べているものだから、フランスパンにかじりついてる子供にも見える。
「じゃあ久しぶりに、ご飯でも食べに行かない?」
 にっこり。どこぞのCMみたいなアングルで、綺麗なお姉さんはそう言った。
 その言葉に、小寺はのどにパンを詰まらせたのかと思うほど、一瞬でほっぺたを赤くして挙手をする。
「い、行きます!!」
「良かった。じゃあ、お店は適当に選んでおくわね」
「わーい」
 だらしないほど頬を緩めて、小寺は万歳。
 田中さんと、ご飯だぁー。ひっさしっぶり。ひっさしっぶり。ルルラララー。
 小寺のテンションは、一気にマックスまで上がった。その、満開お花畑の小寺は、モグモグしながら思う。そういえば、と。
 そういえば、先週の金曜日はオロオロしっぱなしだったなぁー。でも、土曜日すっごく楽しかったなぁー。
 最近、楽しいなぁー。うふふふ。
 一気にだらしない表情になった小寺は、そのまま午後の仕事もだらしない表情で過ごした。
「小寺ちゃん、本当に分かりやすいね」
 その表情を見て、見かねたのか、面白かったのか、突っ込まずにいられなかったのか。定時間際、肩をすくめてクスクスと田中は笑う。
「え? だ、だってー」
 うへへへ。小寺は垂れ落ちそうになるほっぺたを両手で押さえて怪しい笑い方をした。


「で? お前ら付き合ってんのか」
「・・・はい?」
 まずはビール。の、一口目を飲み込んだ橋本は、それを机に置きながら、ぽかんと口を開けて対面の加藤を見る。
 ついさっき。仕事を終えて帰ろうとした橋本に、問答無用で加藤は言った。
「おい、橋本。飲みに行くぞ」と。
 聞いていれば分かると思うが、どっかの綺麗なお姉さんのように、予定を伺ってくれるようなことは無い。が「予定があるので」と断ると「うむ。そうか」と二つ返事でOKをくれるのも、この部長の特徴である。
 とにかく、何の話? と、本当に「?」を顔に貼り付けた橋本の顔を見て、加藤は既に中身のほとんど無くなった中ジョッキをドンと机に置いた。
「お前と小寺のことだ」
「・・・はい?」
 全く同じ返事をして、橋本は二つ目の「?」を反対側のほっぺに貼り付けた。
 そして、僅かな時間をかけてその言葉を理解すると、頭を抱えたくなる手を押さえながら思う。
 こっちに聞くなよ。と。それは小寺に聞いて欲しかった質問である。それで、小寺は色々と納得するはずの質問なのに。まさか、こっちにそんな意味不明な質問が飛んでくるとは。
 そもそも。である。そもそも論である。
 そもそも、あんた達が小寺さんに言わないから。と、責任転嫁と知りながら、橋本はビールを口に運んだ。小寺の方が丸々一年付き合いが長いのに知らなかったのは、小寺が鈍いだけではなく、二人にも責任(?)があるんじゃないのか。と、無茶苦茶なことを真面目に考えてしまう。
 大体、自分は何も関係ないのになぁー。なんて、それこその、そもそも論を出してしまったりして。
「いや・・・別に・・・」
 それにしても、何て答えたもんだろう。と、橋本は小寺に言ったことを思い出し、自分で自分の首を絞めていることに気付く。
 しかし、何ても何も、付き合っていないのだから答えは決まっている。ただ単に小寺がそういう立場になったと「仮定」して、の話なのだから、自分が聞かれれば答えは「ノー」だ。
 加えれば、それまでの過程を小寺が経験すればそれだけで良かったのだから、小寺の答えだって勿論「ノー」で良いのだ。
 それは、頭では分かっているが。
「・・・」
 余計なこと、言うんじゃなかったかも。
 今更、橋本はちょっと後悔している。小寺と半日一緒にいて、色々と心境に変化があった。一週間経った今も、それは変わったままだ。それをちゃんと理解してしまっている橋本は、小寺に言った諸々を、取り消したい気分になることがある。あれやこれや。出来れば綺麗に消し去ってしまいたい。と。
 が、しかし。
 そんな馬鹿馬鹿しい提案をしなければ、二人で出かけることなど無かったと思い返せば、それも無理な話である。しかも、そういう流れになってしまった原因を省みれば「小寺をからかっていただけ」なのだから、自分でいうのも変な話だが、手に負えない。こればっかりは自己責任だな。と、橋本はため息と共に受け入れる。あーあ。
「まぁ、それは良いんだが」
 聞いておいて橋本のぼんやりとした返答に異議を唱えることも無く、加藤はビールを飲み干して枝豆を摘みながら、ふんぞり返ってこんなことを言う。こういう所は、本当に大雑把というか、大らかというか、追い詰められた方にとっては本当に楽な人、それが加藤部長。
「お前、小寺を泣かせるなよ?」
「・・・はい?」
 本日三つ目の「?」は、橋本のデコに張り付くことは無く、盛大に光り輝きながら頭上に浮いた。それを見ながら、橋本は遠い目をして言う。
「な・・・何ですか? それ。何でそんなこと・・・」
 意外すぎる加藤の言葉に、色々な疑惑が生まれてしまう。自分は、遊び人だと思われているのか。それとも、女子供に酷いことが出来ると思われているのか。ハッキリ言ってそれは誤解だと思いたいけど。と、珍しく動揺した橋本の言葉はどもった。
 その橋本の質問に、加藤は本日二杯目のビール中ジョッキを空にしてから、それをドーン! と机に叩き付けて叫ぶ。
「何でだと!?」
「???」
 何か怒ってんのか? と、若干仰け反った橋本に、加藤は釣り上った眉を素早く下げて叫ぶ。
「いい大人が、あんなちっちゃな女の子を泣かせて良い訳けないだろうが!!」
「・・・」
 小寺さん、俺より年上ですよ? と、爆弾発言(真実)を言ってやろうかと思ったが、割と本気の男泣きをされているようなので止めておいて上げた。
 そして、分かっていたことをまた思ってしまう。
 相変わらず変な会社。と。

 結局加藤は、それが言いたかっただけらしい。言いたいことだけ言って、若干泣いて、スッキリした様子の加藤は沢山食べて、橋本にも食べさせて、晴れ晴れとした表情で去っていった。その背中を見送りながら、本当に何だったんだろう。と、橋本は思う。
 まぁ・・・良いけど。
 そう思いながら駅に向かう途中、何の気なしに携帯を見た。メールも着信も、何も無い。
「・・・」
 その画面を、しばし見つめる。
 あの後、一度だけ、小寺からメールが来た。土曜日の内に、お礼のメール。
 その後はまぁ、平日は電話越しでも話すことは多いし、全く会わないこともなかったしで、あまり連絡をしようなんて気にはならなかった。帰るのが遅い日もあったし。多分、小寺もそうなのだろう。
 とりあえず、メールをしたのは出かけてから一度だけ。
「・・・うーん」
 自覚していないが、酔っているんだろうか。それに、今日は金曜日だし。まだ、十時前だし・・・。
 それともなければ、加藤さんのせいだな。と、照れ隠しにそう思いながら、橋本は携帯を操作した。どうしよう。なんて考えることも出来なかった。多分、本当に酔っていたんだろう。


 うふふふ。えへへへ。なんて、だらしない笑い声を漏らしながら、小寺はスキップを踏んで駅に向かっていた。格好がジーパンにパーカーとかだったら、補導されていたかもしれない。明らかに、小寺は酔っていた。
 しかし、アルコールのせいだけではない。久しぶりに田中と食事に行って、テンションが上がりっぱなしなのだ。
「ごめんね。これからちょっと、用事があって・・・」
 九時半頃、田中はそう言って手を合わせた。
「また今度、ゆっくりご飯食べに行こうね」
 たーのしかったなぁー。と、小寺は頭の中の花畑をスキップで進む。話はずっと盛り上がりっぱなしだったし、田中さん、見てて飽きないんだもんなぁー。美しすぎるー。
 でへへへ。と、すれ違った人が振り返るような笑いを零した小寺のカバンから、小さな音楽が聞こえてきた。
「ん?」
 自分のだらしない笑い声が耳の奥に残っていて、本当に携帯が鳴っているのかと一瞬疑いかけたが、カバンを覗くとうっすらと発光しているのが見える。
「んん?」
 そして、それを取り出してそこに移った名前を見て、小寺は急に冷静になった。
 その後、さっきまでとは違うほてりを頬に感じて、それを手で仰いで冷ましながら、小寺は通話ボタンを押す。
「は・・・はい」
 豪快に咳払いをしてから出たのに、小寺の声はちょっと震えた。我に返って見上げると、自分はかなり駅の方まで戻ってきたらしい。田中とは、会社から駅とは逆側の店に行ったのだが、浮かれている間にちゃんと戻ってきたようだ。見慣れた駅ビルや百貨店が、もう閉店しているのに光を受けて輝いているように見える。
「あ・・・どうも」
 聞こえてきたのは、橋本の声。分かっていたのに、小寺の心臓が大きく跳ねる。
「・・・どうも」
 そう言ってから、思わず笑ってしまった。そして、ゆっくり歩きながら橋本に言う。
「何か、変な感じ。あ、ごめんなさい。どうかした?」
「いえ・・・あれ?」
 用はないんですが。と、言いかけていた橋本は、小寺の背後から聞こえてくる雑音に気付く。
「小寺さん、今外ですか?」
「あ、うん。そうなの」
 これから帰るんだけどね。と言うと、若干の沈黙の後、橋本の声が聞こえてくる。
「俺・・・まだ、会社の近くにいるんですけど」
「え?」
 そう言われて、思わず小寺は振り返る。
 そして、そこにはいないことを確認してから、再び駅ビルを見上げた。心持ち、歩く速度が早くなる。
「そうなの? あたしも、まだ会社の近く」
 もうすぐ駅だよ。と言うと、橋本はもう駅にいるらしい。
「えー。嘘。ちょ・・・ちょっと待ってー」
 てってってっと、小寺はとうとう走り出した。
「駅の、どこー?」
「階段の手前なんですけど・・・って、小寺さん。走ってます? もしかして」
「は・・・走ってる」
 そう答えると、電話越しに橋本の笑い声が聞こえてきた。
「走らなくて良いですよ。待ってますから」
「えー。でも・・・」
 そんなことを話していたら、小寺は駅ビルの前まで来ていた。改札に向かう下りの階段前の広場で足を止め、きょろきょろと辺りを見回す。しかし、どこもかしこもスーツだらけで、全然見分けが付かない。
「あれれ? どこだろ・・・」
「小寺さん」
 と、不意に肩をたたかれて、小寺は意味不明な悲鳴を漏らして振り返った。その声に、周りの何人かが振り返るが、小寺は全然気付いていない。
 一方の橋本も、そんな小寺に驚いたのか、肩を叩いた手を上げたまま固まっている。いつかもこんなことがあったな。なんて、小寺に思い出す余裕はない。
「びびびび、ビックリしたぁー」と、本音を言うと、橋本は吹き出した。
「ビックリしたって・・・何でですか? 俺、駅にいるって言ったのに」
「だだだって、急に後ろから・・・」
「・・・すいません」
 笑いが止まらないらしい。橋本は肩を震わせながら呟く。
「小寺さん、すごい目立つから、すぐ分かったんですけど。きょろきょろしてるから、ちょっと驚かしてみようと思って」
「驚かしてって・・・もーっ」
「ごめんなさい」
「!」
 その謝罪に、小寺の顔は真っ赤になった。怒りでではなく「すいません」じゃなくて「ごめんなさい」と言った橋本に、何だかすごく照れてしまったのだ。
 橋本は、見かけによらず・・・と言うと偏見があるかもしれないが、目上の人に対する言葉遣いは、最初から割とキチンとしていた。それは田中も加藤も認めていて、小寺も見習わなきゃと思うところでもある。
 だからもし、そうじゃないことがあれば、それは「わざと」なのだ。
「ゆ・・・許す」
 いつか、同じようなやり取りをした気がする。と思いながら、動揺してハッキリいつかは思い出せないまま、小寺は応えた。
「何してたんですか? こんな時間まで」
 うっかり繋がりっぱなしの携帯を切って、橋本は言った。小寺も気付き、自分の手にある携帯を見て。
「あ、あのね。今日は・・・」
 と、言いかけたものの、携帯をしまう方を急に優先させることにしたようだ。「ちょ・・・ちょっと待って」と、携帯をバックに戻す。
「えと・・・た、田中さんとね。ご飯食べてた」
「・・・田中さんと?」
 もし、小寺にもう少し洞察力があったら、そう呟いた橋本の若干の変化に気付いたかもしれない。が、小寺はそれに気付く様子もなく、橋本に満面の笑みでこんな報告をする。
「すっごい久しぶりだったんだけどね。楽しかったー」
「そ・・・そうですか」
 そりゃ、良かったですね。と言いながら、橋本は腕時計を無意識の内に見る。十時を、少し過ぎていた。
「橋本君・・・」
 文字盤を見ていたら、そんな声が若干下から聞こえてくる。
「? 何ですか?」
「・・・あの、さ。まだちょっと、時間、ある?」
「ありますよ。終電は、まだ先なんで」
「じゃあさ。じゃあさ」
 小寺は小さく屈伸運動をしてピョコピョコしながら、橋本に言った。
「ちょっと、お茶していかない? この前色々奢ってもらったから、今日はあたしがご馳走するよ」
「え? いや・・・でも」
 それは悪いですよ。という言葉を聞いて、明日の予定や今日のこれからは大丈夫と理解したらしい。
「行こ。行こ」
 小寺は橋本の腕を担ぐように持って「ココア、ココア」と呟きながら歩き出した。

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