第六章 部長さんと新人君の信念。

「何か、欲しいものあるんですか?」
 ショッピングモールに入って、橋本はスキップを踏むように歩いている小寺に声をかけた。
「え? 特に無いけど」
 そう言いながら、小寺はすでに満面の笑みを浮かべている。本当に、何がそんなに楽しいんだろうと、橋本はさっきから不思議でならない。
「夏物セール。セール・・・素敵」
 そんな橋本の目の前で、小寺はうっとりとした声で呟く。そして、あちらこちらに立っている看板やポスターに悩ましげなため息をついた。
「とは、言ってもなー」
 急にプクッと頬を膨らませると、冷めた目をしてこうも呟く。
「まずはサイズで引っかかるからなぁー」
「・・・で、しょうね」
 その小さな呟きは、小寺に確実に伝わったらしい。身長の差も手伝って、見事な上目使いをした小寺が、ちょっと低い声で呟く。
「何」
「いや。別に」
 変なところで鋭い。そう思いながら肩を竦め、小寺の横を歩いていると、彼女はふと、足を止めた。つられて橋本も足を止め、彼女の頭の上から彼女が見ているものを見る。
「・・・」
 小寺は黙ったまま、店の店頭に飾られた服を見ている。濃紺のシャツに、白のクロプドパンツ。首元にはスカーフを巻いて、颯爽と歩くような格好をしていて、すらっとした長身のマネキンのせいもあってか、カジュアルなのにキャリアウーマンの様だ。
「・・・ふーん」
 コメントのしようが無かったのか、小寺はそう言って・・・というか、言葉に鳴らない声を出して再び歩き出す。
「・・・?」
 橋本はそのマネキンを一瞥してから、小寺に視線を戻す。ずっと近くに居るのに、マネキンよりもずっと遠く・・・正確に言えば小さく見える彼女に向かって、素直な疑問を口にした。
「あーゆー格好、したいんですか?」
「・・・ちょっと、憧れるよね」
 小寺は照れくさそうに言って、でも笑うことも出来ないのか、ため息混じりに呟く。
「でも、似合わないもんなー」
「・・・」
 橋本は、何とも言えない。それぞれに似合う服があるんだから良いじゃないかと思うが、似合わない格好にこそ、憧れるものなのだろう。別に、悪いことでもない。
「橋本君はさー」
 その橋本の気持ちを察したのか、小寺は間を開けずにこんなことを言う。
「どんな格好が好き?」
「え?」
 こっちを見ている小寺に気付いて、少し視線をいつもよりも下に向けながら、その目を見て聞き返す。
「女の人のですか?」
「うん」
「言ったら小寺さん、そういう格好してくれるんですか?」
「・・・え?」
 そう呟いた瞬間。
「・・・いや・・・え?」
 小寺の顔は、みるみる真っ赤になった。
「そそ、そういう意味じゃ、ないよ? な・・・な・・・な」
 慌てて顔を逸らして、俯きながら歩く小寺の表情は、こうなると良く見えない。けれども頬だけは真っ赤になっているのが少しだけ見えるので、その心情だけはハッキリ分かった。
「な・・・何で、そういう・・・」
「・・・」
 何となく口にしただけの疑問に、ここまで過敏な反応をするとは思わなかった。そう思いながら、橋本は面白くなって小寺の顔を覗き込み、からかうように言う。
「聞いておいてしてくれないんですか?」
「・・・」
 もう、何も言えなくなってしまった小寺は、一生懸命顔を隠すように深く俯いた。それは嫌がっているというよりも、単に照れて、どうしたら良いのか分からないということが手に取るように分かる反応。面白い。面白くて仕方が無い。加藤の気持ちが、今日は本当に良く分かる。
 その小寺は、白い膝丈のワンピースに、綺麗なプラム色のカーディガンを羽織っている。いつも可愛い目のオフィスカジュアル(もどき)の格好をしている小寺だが、今日はちょっとだけ、カジュアルで可愛い格好をしていることも、橋本には勿論最初から分かっていた。
 だから、最後にこんなことを言う。
「っていうか、今日の格好、良いと思いますよ」
「・・・!」
 それは、小寺にとってはトドメにも等しかったらしい。もうどうしようもなくなったのか、俯いていた顔を歩きながら両手で覆ってしまった。
 その小寺の前には、休憩用のベンチ。
「危ないですよ」
 橋本は勿論、小寺の腕を引っ張ってそれを回避した。
「あ、ありがと」
 ビックリしたのと、多分照れて疲れたので、小寺は力の無い声でフラフラしながら呟く。
「・・・どういたしまして」
 その一方で、小寺に触れたことを何となく意識して、少し照れが移ってしまった橋本が、顔を見られたくなくて明後日の方向を向いたことを、小寺は多分、橋本の方を向いていても気付かなかっただろう。それこそ本当に、小寺には見られないように逆方向を、少し上の方に顔を上げたから。

 結局この日、小寺はフレーバーティーのティーバッグと、ほんのり香るボディクリームを購入。
 その買い物は少なくとも小寺を満足させ、ウィンドウショッピングでもかなりの時間を費やし、五時も過ぎたので車に戻って食事に行こうという話になった。
 そうは言っても。である。
 駐車場を歩きながら橋本が、とりあえず平常心は取り戻している小寺に、からかうように言った。
「服は、良かったんですか? 買わなくて」
「え? ・・・う・・・うん」
 本当は、多分服も欲しかったし、色々と見たかったのだろう。今日は他の買い物やフラフラと回るだけでも充実した時間を過ごせたが、それでも本来の目的は達せられていないことは明らかだった。
 何だかんだ言って半日影響するほど、橋本の言葉は小寺にとって大きかったのだ。そんな訳で、小寺の返事も何となく歯切れが悪い。
「・・・また」
「?」
 橋本の心持ち小さな声に、小寺が橋本の方に顔を向ける。不思議そうに見上げたその顔を見て、ちょっと反省し、詫びる気持ちで橋本は言った。
「今度、来ます?」
「・・・え?」
 その言葉の意味を、多分小寺はどう受け取ったら良いのか分からなかったのだろう。すぐに答えることは出来なかった。
 一人で? それとも、また一緒に? 勘違いしたら、すごい恥ずかしいかも。そう思って、小寺は答えを戸惑った。でも。
 でも、考えてみたら、ここが気に入ったのなら「来る」と言えば、何もおかしなことは無い。間違いにも、嘘にもならない。
 そう気付いて、慌ててイエスの返事をしようと橋本の方を見上げると、橋本はもうこっちを見ていなかった。小寺が自分を見ていることにも気付いていないようだ。そんな状態で、横顔の橋本は呟く。
「来たいんだったら連れてきますけど」
「・・・」
 え? 本当に? 良いの?
 ・・・と、大きな声で言いそうになった。それを慌てて飲み込んで、小寺は頑張って静かに息を整えてから小さな声で呟く。
「お・・・お願いします・・・」
「・・・」
 その返事に気付いて、橋本は吹き出すように笑った。
「やっぱ、服見たかったんですね」
「・・・」
 うー・・・。と、唸って見せてから、小寺は小さく頷く。
 その返事の後、ずっと上のほうから、ずっと笑い声が聞こえてきていた。


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