第五章 抹茶チョコとイチゴチョコ。2

「と・・・その前に、飲み物でも買いますか」
 呟いて、橋本は方向転換することにした。丁度左側にコンビニが見えたからだ。
 駐車場に車を止め、シートベルトを取っていると、きょとんとした表情の小寺と目が合う。
「? どうかしました?」
「その前? どこ行くの?」
「・・・」
 どうやら一人で延々、あの日の思い出を語っていたらしい。橋本が勝手に行きたい場所を察していることなど、何も気付かない様子。
「買い物に行こうと思って」
「買い物?」
「小寺さん、行きたかったんでしょ?」
「!? 何で分かったの!?」
「・・・」
 何で分からないと思うのか。
 とりあえず橋本は、ほれ。降りた。降りた。と、小寺を車から追い出した。


「そういえば、昼どうします?」
 コンビニに入ってすぐ、小寺の方を振り返って問うと、小寺はすでに全然違う方を向いている。雑誌やらお菓子やら、気になって仕方が無いらしい。そして、しばらくして橋本の視線に気付いたようだ。
「え?」
 と言うので「腹減ってますか?」と聞くと、何故か照れたように笑いながら「朝ごはん食べたの、遅かったからあんまり」と答えた。どうやら寝坊したらしい。
「じゃ、まだ食事はいらないですね」
「うん」
 何がそんなに楽しいんだろう。と、思う。コンビニなんて行き飽きたと言っても良い橋本は、後ろをくっ付いてくる小寺の笑顔の理由を考えながら、そんなことを思った。

 さて。コーヒーを手にとって、店内を見回す。小寺は・・・いない。少なくとも、見えない。
 どこに行った。と、一分も経ってないのに見失いながら、橋本は思った。小寺はペットボトルのコーナーに向かった。そこを見てみるけど、いない。
「?」
 振り返ってみると、小寺は中腰になって、何かを凝視している。何か、も何も。お菓子の棚なので、お菓子を見ていることは間違いないようだが。
 手には、烏龍茶のペットボトルを持っている。小寺が持っていると、若干大きく見えるのは気のせいか。
「何見てるんですか?」
「わっ」
 後ろから声をかけると、肩を震わせて振り返る。そして「ご、ごめん。決まったの? あ。コーヒーだ」と、分かりきったことを指差し確認するように言った。
 それをマジマジ見ながら、小寺はこんなことを言う。
「コーヒー、好きなんだね。会社でも飲んでるもんね」
「そういえば、小寺さんは挫折しましたね」
 ふと思い出してそう指摘すると、小寺の顔は一瞬で真っ赤になった。
「な・・・なんのこと?」
 引きつった表情でそう言う小寺に、橋本は大したこと無いといった口調で言う。
「田中さんに、苦いのが美味しいと感じられれば大人になれるって言われて・・・」
「やめてー!!」
 知り合いは誰も居ないのに、小寺は慌てて橋本の口を塞ごうとする。そして、それが叶わないながらも橋本が口を噤んだので、ヘコヘコ頭を下げながら「許して下さい。もう言わないで下さい。忘れて下さい」と、延々繰り返している。どうやら、小寺にとっては忘れたい思い出だったらしい。
 コーヒーが美味しく感じられなくても、あなたもう立派な大人でしょうがよ。と、思いながら、橋本はさっき小寺が見ていた棚を見る。しょうがないから、話を逸らしてやろうと思って。
「何見てたんですか?」
「え? あ」
 それに気付いて、小寺はまた頬をちょっと赤く染める。
「ちょ・・・チョコをね。ちょっとね。ちょっと見てただけなんですが・・・」
「随分真剣に見てましたね。近付いても全然気付きませんでしたね」
「・・・うー・・・」
 図星過ぎて言い返せない小寺の顔は、ハッキリ言って面白い。加藤がイジリ倒すのが分かる気がする。
「で、何ですか」
 笑いをこらえながら、肩を震わせて顔を逸らす。小寺は、そんな橋本をめっちゃ睨んでいた。もう、めっちゃ睨んでいた。
 が、橋本はまったく動じる気配が無い。
「・・・」
 しばらく口を尖らせていた小寺は「これ」と、スティック状のチョコレートを指差した。ホワイトとピンク、グリーンの三色が並んでいる。ピンクとグリーンには「新発売」と書かれていた。
「この前ホワイトチョコ食べて、美味しかったから気になってたの」
 そう言って、何が面白くないのか頬を膨らませて橋本を睨む。その顔が面白いって、彼女は分かってないんだろうか。分かっててやってるんだろうか。
「じゃあ、買って行けば良いじゃないですか」
 そもそも、大人が尻込みする金額じゃないでしょうに。と、思いながら言うと、ピョンと、ちょっとだけ跳ねたような動作をした小寺が橋本の顔を覗き込んで「買ってって良いの? 車で食べても良い?」と、ちょっと期待したような顔で言う。
「い、良いですよ?」
「ホントー?」
 じゃー、どっちにしようかなー。と、ウキウキと品定めを始める小寺の背中を見ながら、本当はこの人、幾つなんだろうかと本気で思ってしまう。
 ただ、
「橋本君は、どっちの味が好き?」
 と、さっきまで怒っていたことなど、初めから無かったような顔をして振り返られると、油断していた橋本は正直動揺した。
「・・・っていうか」
 照れ隠しに、顔を隠すように小寺の前に出て、イチゴ味と抹茶味のチョコレートを一つずつ手に取る。何だか、ペースを崩される。小寺に。そう思うと、落ち着かなくて。
「両方買えば良いんじゃないですか?」
 そう言って、さっさとレジに向かう橋本の背中に小寺の声が聞こえてきた。
「何あの人。超リッチー!」
 知ってると思うけど、あんたと同じ会社の薄給営業ですが? と、他人の目(耳?)もあるので言い返せないまま、橋本はさっさと会計を済ませた。


「いくらだった?」
 コンビニを出ると、自分の飲み物の会計だけ済ませた小寺が、お財布を持ったまま橋本の後ろを追ってきた。普通に振り返っても、小寺の姿はすぐには見えない。
 不便だな。と、正直に思いながら、橋本は足を止めて体ごと九十度くらい振り返った。
「いくら? ああ、良いですよ。別に」
「えー・・・」
 でも、あたしが食べたかったのに・・・。と、ぼそぼそ言っている小寺に、橋本はシッシッと追い払うような動作をした。
「良いですから。それよりも、小寺さんはこっちじゃないでしょ」
「え? あ」
 車を見て、その意味を察したらしい。小寺は慌てて助手席側に向かう。どんだけ必死なんだ。と、鍵を開けながら橋本は呆れながら笑いそうになった。


「はい」
 と、コーヒーだけを取り出したビニール袋を渡すと、小寺は何か言いたそうな顔をしたが、言えないまま袋を覗き込むと若干嬉しそうな顔をする。そして、その表情のまま
「ありがとう。ご馳走様でーす」
 と、物凄い機嫌の良さそうな声で言った。
「・・・はい」
 仮にも年上の、仮にも女性にコンビニのチョコを買ってそう言われてもどう答えたら良いのか分からない橋本は、コーヒーを飲んでいる振りをして頷く。それが、割と精一杯だった。本当に、小寺にペースを乱されている気がする。何だか居心地が悪いような・・・気がしないでもない。
「・・・で・・・あのー」
「はい?」
 キーを回しながら、橋本はその声に小寺の方を向いた。
 小寺はモジモジしながら、ビニール袋をちょっと持ち上げて橋本に言う。
「食べても良い?」
「・・・良いですよ」
 っていうか、そんなこと気にしなくても良いですよ。と、呟きながらアクセルを踏むと、小寺の小さな言い訳が聞こえてきた。
「だってさー。車、綺麗にしてるみたいだから・・・」
「そうですかね」
「そうですよ」
 そう言いながら、小寺は一生懸命チョコを開けている。
 その横顔を盗み見て、橋本は自分でも理由など分からず、ちょっと肩をすくめた。


「はい」
「え?」
 走り始めて二つ目の信号で、車は止まった。そうしたら聞こえてきた、小寺の声。
 見ると、小寺が銀色の紙を半分まで取ったピンク色のチョコレートを差し出している。そして、橋本がすぐに反応しなかったのを見て、ビックリしたように言った。
「あれ? もしかして甘いの嫌い? だっけ?」
「あ」
 その小寺にも自分にも、ビックリしてしまったことにビックリした。橋本は慌てて手を出す。
「いや。大丈夫です。どうも」
 と、それを受け取ると、小寺は安心したような、嬉しそうな顔をする。そして、いそいそともう一つチョコを取り出した。今度は自分の分らしい。
 それを見てからチョコを口に入れ、橋本は居心地の悪さを改めて噛み締める。
 いや。居心地が悪い・・・というのは、正確じゃないかもしれない。何だか急に、小寺に意識し始めてしまった自分に気付いてしまったのだ。
「両方、食べ比べてみようねー」
 一方、小寺は銀紙を剥がしながら、橋本を見ずにこんなことを言う。
 どっちの方がが美味しいかなー。なんて言いながらパクッとピンク色のチョコを口にする小寺を見ていると、橋本は何だかもう、訳が分からなくなった。


「どっちが美味しかったー?」
 抹茶味を食べながら、小寺がそんなことを言う。
 先に渡された橋本は、もう食べ終わって、ごみになった銀紙を小寺に渡しながら呟いた。
「んー。俺は・・・」
 と、どうでも良い回答を口にしようとする。どっちが圧倒的に美味しかったなんて感想も無い。だた、好みの問題だ。それを口にすることは、独り言位、橋本にとってあまり意味の無い言葉でもあった。
 だがしかし。
「あ! ちょっと待って!!」
 聞いたくせに、小寺は急に大きな声でそう言う。
「わっ。何!?」と、運転中の橋本はハンドル操作が乱れそうになるのを立て直した。が、あまり大きな乱れではなかったため、隣の小寺は我関せずである。挙句の果てに。
「先に言わないで! 一緒に言おう」
 なんて、それこそどうでも良いことを真顔で言った。
「・・・」
 もー・・・。と、直後丁度赤信号で止まったので、橋本は呆れた顔をして小寺を見下ろす。
 どっちでも良いじゃないですか。と、ため息を付いて思ったものの、何だか小寺に反論も出来ず、良いですよ。と、小さな声で返事をする。こんなことすら我慢する自分は、なんだかんだ言って小寺を先輩だと思っているからだろうか? とか、今更我に返って思ったりして。
 そんなことは全然構いもせず。
「じゃ、せーので言うよ。せーの」
 と、小寺が言う。変わりそうな信号を見ながら、橋本は棒読みでグリーンのチョコの名前を呟いた。
「抹茶」
「イチゴ」
 そう二人の声が重なった時、信号が青に変わったので橋本はアクセルを踏んだ。
「あ」
 と、小寺の声が遅れて聞こえてくる。
 その後、車の走る音の隙間に、やっぱり小さな小寺のこんな声が聞こえてくる。
「そっかー。橋本君はこっちの方が好きなんだー」
 多分、抹茶のチョコの箱を見ながらだろう。そして多分、独り言なんだろう。そう思った橋本は、何も言わずにその言葉を聞いていた。
「好み、違ったねー」
 その後、これまた独り言なのかどうなのか分からない小寺の声が聞こえてくる。
 そういうの、気にする人なのかな? と、橋本は一瞬だけ小寺の横顔を垣間見る。
 その橋本に、もう一度小寺の声が聞こえてきた。今度は間違いなく、橋本に向けた言葉だ。
「二つ買って、良かったねー」
 その、底なしに嬉しそうな小寺の声に。
 運転に集中している振りをして、頷いて答えた橋本は思った。
 やばい。と。
 思えば居心地が悪かった理由は、こういう結論の経過だったのかもしれない。それを、今更納得する。
 そしてハッキリと自覚する。こういうことが、この瞬間だったと、分かることがあるんだと思う。
 惚れた、かもしれない。
 照れ隠しに仮定する言葉を付けるだけで、橋本の抵抗は精一杯だった。


戻る 目次 次へ