第四章 後輩君は先輩ちゃんを惑わす。

「・・・何ですか」
 ややあって、橋本はそう言った。最初こそ、小寺の動揺ぶりにかける言葉も見付からないような顔をしていたものの、やがてに呆れた様な表情に変わり、棒読みでこんなことを言う。
「小寺さん、加藤さんのことが好きなんですか?」
 無理もない。本日は月曜日。あの日から、もう二日経っているのだ。それなのに小寺はオロオロしたまま、仕事中も全然集中できていない。
「これ、一個じゃないですよ。一式ですよ」と、検印を頼まれた注文書が間違っていたので小寺の元へ行くと、
「あわ? わわわ。ごめんなさい」と慌てて修正ペンをカチカチし始めた。その小寺の後頭部に、さっきの言葉を落下させた次第。
「す!?」
 分かり易くポロッと修正ペンを落とした小寺は、そう言って固まった。
 こんな小さな間違いが、今日だけで三回目。どちらかといえば元々ドジな方だが、普段はこんなにチョコチョコミスを連発はしない。どう考えても「あれ」が原因だろう。と、考えると、橋本の発言は至極尤もだとも言える。
「・・・ち・・・違うけど・・・」
 小寺はそう言って、膝の上に手を置いて肩を竦めた。それを見ながら橋本は、まぁ、そうだろうな。と、思う。
 小寺の顔色は、決して悪くはない。よく眠れてはいるようだ。それに、会社で見るところ、食事だってちゃんと摂ってる。本当にこんなに動揺した原因が失恋だったとしたら、もう少し別の反応をするだろうし・・・。
 んじゃー、一体何が原因なのか。オロオロしっぱなしの小寺を見ているのは、ある意味面白いとも言えなくも無いが業務に差し支えるのは困るので。
「・・・じゃー、何ですか」
 橋本は、また棒読みでそう言った。その方が、小寺を刺激しないだろう・・・と思った訳でもないのだが、小寺は肩の力を抜いて明後日の方向を見る。部長の席に、加藤と田中がいた。机の上の書類を見て、何か話し込んでいる。
「・・・何だろ・・・」
 少し前まで、お似合いだの付き合っちゃえば良いだの思っていたことを思い出した。それは、橋本にも言った位だから、余計彼も意味が分からないのかもしれない。
 でも、自分にだって分からないのだ。
「・・・何か・・・モヤっとするんだよね」
「・・・モヤっと」
 繰り返してみたものの、それこそ本当にモヤっとしていて良く分からない。そもそも、それは男と女で感じ方も、感じる経路も、何もかも違うのかもしれない。だとしたら、橋本には理解どころか、その存在を認めることすら、難しい話だ。
「・・・むー・・・」
 けれど、今のところ本人の小寺にもハッキリしていないらしい。唇を尖らせると、眉間に皺を寄せて唸っている。子供か。と、子供サイズの小寺に、危うく突っ込んでしまいそうになる。
「・・・もしかしたら・・・」
 しかし中身は程々に大人だった小寺は、何とか自己分析したらしく、こう呟いた。
「二人に秘密にされてたのが、嫌だったのかなぁー・・・」
「・・・」
 秘密、ねぇ・・・。
 小寺から目を逸らし、橋本は思う。見てりゃ分かると思うんだけど・・・。と。
 実際、二人の仲に、橋本はすぐに気が付いた。だって、加藤と田中は(仕事中はそうでもないが)オフの時間は、ほんのり空気がピンク色に変わったように見えるほど、本当に仲睦ましいのだ。人前で恥じらい無くイチャイチャ・・・という訳ではなく、お互いを見る目が明らかに優しい。行動で表すよりも、ずっと確かで分かり易いと思うけど、生憎小寺は全然感知できなかったようだ。まぁ・・・もしかしたら、仕事の後に二人と食事に行く機会の多い自分の方が、そのチャンスに恵まれていたのかもしれないが。
「でも、あの二人から『私達、付き合ってるんですぅー』とか、改めて言われるのも馬鹿っぽくないですか?」
「加藤さんは、いつも馬鹿っぽいもん」
 何故か頬を膨らませて、怒った顔で小寺は言う。色々と、からかわれたことを急に思い出したようだ。この顔を見ていると、小寺が加藤にナンチャラという心配は、本当になさそうである。
「むー・・・」
 何が面白くないのか、また小寺は唇を尖らせて唸っている。うちら、もういい大人なんですから・・・。と、思いながら、橋本は棒読みのまま、こんな発言をした。
「そんなこと、気になりますかねぇー?」
 そんな言葉に、器用に唇をもっと尖らせながら小寺は言う。
「・・・気になるよ。だって、一人だけ仲間外れみたいで」
「じゃあ、何でそんなことになったか、確かめます?」
「面白くない、じゃん」
 何を言われたのか分からず、小寺はキョトンとして顔を上げた。そして、その言葉の意味を理解した上で理解しきれなかったのか、半分裏返った声で聞き返す。
「・・・え?」
「それがスッキリすれば、色々納得するんでしょ?」
「・・・するけど・・・えー? 聞くの? 二人に? 直接?」
 出来なーい。と、首をブンブン振りながら、小寺は言った。
「別に、そんなことしなくても良いんじゃないですか?」
「・・・え?」
 クルクルと頭の上に?マークを飛ばしながら、小寺はマジマジと橋本を見上げた。
「な・・・何それ。どうやるの?」
「何で二人が教えてくれなかったかが気になってるんでしょ?」
「うん」
「だったら、小寺さんが田中さんと同じような状況になればいいんじゃないですかね」
 同じような状況。
 同じようなって・・・。
 そう言われても、どういう事かピンとこない小寺は、しばらく答えを探して考えた。しかし、それとは関係の無い記憶が強引に入り込んでくる。
 そういえば。と、小寺は田中の話を思い出した。「人には言えない、恋愛中」だと呟いた彼女を。どうしてあんなことを言ったんだろう。その意味が、同じ状況になれば分かるんだろうか?
「・・・でも・・・」
 そんなこと、どうやれば良いの? と、橋本を見上げて小寺は言った。あたし、加藤さんと付き合えないし付き合いたくもないし向こうもお断りだろうし・・・。と、ブツブツ言っていた小寺の言葉を、橋本はまた遮った。
「良いですよ。俺が付き合っても」
「・・・はい?」
「別に本気でじゃなくて」
 そうと仮定して、の話ですが。と橋本は小寺を見もしないで呟く。
「一応、社内恋愛には変わりないんじゃないですか」
 一応。そういう気持ちが、言葉に表れたのかもしれない。橋本の言葉は、とてもとても恋愛の話をしてるとは思えないほどに無機質だった。
 それでも、そういう状況になれば分かるでしょ? 同僚に、自分からそんなことを言えるかどうか。その時、自分はどうするか。とか・・・うーん。我ながら下らない。やっぱりやる意味もないような気がしてきた。そこまでしなくても、考えれば分かる事だし。
 と思いつつ、提案した手前、そんな本音も言えずに上記の提案の理由を伝えようとした橋本の言葉は途中で止まった。
 そもそも。それまでに恋愛の相談をしていたりしたならともかく、聞かれもせずに自分の社内恋愛をペラペラと言いふらす方が少数派ではないのか。それに、見ていれば気付く訳だから(実際自分がそうだったのだから。そして、小寺だって多分、多少なりとそんなことを感じていたはずなのだ。二人のことをお似合いだと言っていた位なのだから)外から質問して吐き出させる形の方が、よっぽど無理がないように思う。それに加藤も田中も年上であり、上司だ。年下の部下になんて、もっとカミングアウトしづらいに違いない。そう考えると、小寺が問わなければ返ってこない答えだと気付くと思うのだ。現に、自分もそういう経過を辿った訳だし。
 そんな当たり前とも言える事を、小寺は頭では理解出来ないらしい。じゃあ曲がりなりにも(というか、完全な嘘だが)社内恋愛をすれば気付くのではないかと思った故での提案だった。その気にすら、ならなくていい。そのつもりで、ほんの一日でも過ごせば気付くだろう。
 ・・・と、そうは言っても、下らないなー。なんて思いながら言おうとしていた訳だが。
 みーんな、思わず飲み込んでしまった。真っ赤になって自分を見上げる小寺を見て、もうちょっとからかってみたい。なんて思ったからである。多分。



 その週の、金曜日の夕方のことだった。
 加藤はまだ外出中、田中はたまたま席を外していた。
 そしてこれまた、たまたま橋本は早めに帰社した。金曜日に回っている歯科医院の内、二件が臨時休業だったからだ。
 最近の歯科医院は年中無休というところも珍しくないが、水曜日や木曜日と日曜日・祝日休みという所がまだ少なくもないので、橋本のスケジュールも水曜日と木曜日は気持ち軽いことが多い。その日に集中的に社内処理をし、よって小寺と顔を合わせることも多いが、月曜日は会議の後、午後外出、火曜日・金曜日は終日外出の場合が多く、小寺の勤務時間内にはほとんど戻ってこない。
 が、たまにこういうイレギュラーなことが重なると、小寺の勤務時間終盤に、ひょっこりと戻ってくることがある。だから、これは割と珍しいことだともいえる。
 加藤も同じだ。社内にいる時にはストレス発散なのか、オモチャだと思っているのか、小寺と遊んでいることの少なくないという印象があるが、実際にはそんなに社内で仕事をしていることはない。部長とはいえ、小さな会社であるということと、加藤に来てもらいたい取引先も多いため、橋本と同じようなスケジュールで客先を回っているのである。
 そんなたまたまが重なったある日、「只今戻りましたー」という声に反応して、小寺は「おかえりなさい」と声をかけた。社内での取り決めだ。「もっと大きな声で言え! 言ってくれ!」と、たまに加藤は言うが、そもそも加藤の声が大きすぎるのだ。みんな、ちゃんと声は出しているのに。
 が、今はそんなことは、どうでも良い。
「あの話」をしたのが、月曜日の夕方。それから四日近く経っている。そもそも外出が多いのであまり絡みは無かったが、業務連絡の際も火曜日辺りの小寺はおかしかった。その後、水・木・金とかなりの時間をかけて、小寺は気持ちの整理が出来たのか出来ていないのか、とりあえずはこの時、表面上は普通を装っていた。
 が、こっちを見ない。結局、明らかに全然平常心じゃない小寺。それを見て、笑ってしまいそうになるのを堪えて、橋本は小寺の席まで行き、小さめの声でこんなことを言った。
「小寺さん。明日、暇ですか?」
「は? はははははは!? はい!?」
 橋本が近付いてきたことに、全く気付かなかったらしい。というか、勤めて無視していたんではないかと橋本は勘ぐる。
 そんな、見抜かれまくっている小寺は素で驚いて、何故か万歳をして橋本の方を見た。
 それを見て、もう堪えきれずに吹き出しながら、橋本はもう一度、言った。
「明日、何か用事あります?」
「・・・」
 真っ赤な顔をして両手を上げたまま、ぽかんと口を開けた小寺は、肩で息をしながら首を横に振った。
「ああああ、明日? 明日、土曜日でしょ? 何もないよ。会社も来ないよ」
 知ってる。思わずタメ語で突っ込みそうになったのを押し止め、橋本は笑いながら言った。
「じゃあ、どっか行きませんか?」
「・・・え?」
 多分、小寺星に巨大な隕石が激突した音だろう。ドッカーン! という音と、衝撃と、それを口を半開きにして見てたであろう小寺の顔を見ながら、橋本は吹き出しそうになるのを必死に堪えた。
「デートしましょうよ」
「で!???」
 デートぉ!!!???
 そう言いかけた時、(正確には叫びかけた時)田中の声が聞こえてきた。
「あら? 橋本君。お帰り」
「ただいまです」
「早かったね」
「今日は二件、臨時休業だったんで」
「あ、そうだっけ」
 二人は平常心でそんな言葉を交わす。その橋本の後ろで小寺はアタフタしていたが、橋本が田中の視界に入らないように庇ってくれていることに気付いて、落ち着きを取り戻すのと同時に橋本の背中を見上げた。
 そんな、小寺の状況を察したのかもしれない。
「今日は、早く帰ります」
 と、一言を残して、橋本は自分の席に戻った。
「・・・」
「小寺ちゃん? どうかしたの?」
「はい?」
 ぼんやりとその姿を目で追っていた小寺に、そんな声がかかる。横を見上げると、田中が不思議そうにこっちを見ていた。
「は! べ、別になんでもないですっ」
 そうは言ってみたものの。
「・・・」
 うー・・・。で・・・デートって・・・。
 何だそれー。そんなことを照れ隠しに思っても、小寺の頬っぺたは熱を持ち、声が上ずるのをなかなか抑えることが出来ずにいた。


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