第二章 客と話すだけが営業の仕事ではないらしい。

「君、ちっちゃいねー。可愛いねー」
 わしゃわしゃ。子供みたいに頭を撫でられて、小寺は引きつりながらも辛うじて笑みを返した。
 いつもだったら「きぃー!」でも「しゃー!」でも奇声を発して相手を威嚇するところだったが、今回だけはそうもいかない。なぜなら、相手は「お客様」だったから。
 本日も小寺は仕事中。が、いつもの会社でではなく展示場に来ていた。
 実は今日、展示会のお手伝いに来ていたのだ。扱っている商品や自社製品を羅列し、何とかかんとか新規開拓を狙う我らが加藤部長。その空気を感じ取り、入社二年目とは思えないほどシャカリキに動いている橋本。その傍らで、チラシを手にした小寺はかわるがわる頭をわしゃわしゃされていた。主に、歯科医師に。
 隣には大体、すらっとした若くて綺麗な歯科衛生士の姿がある。「先生ったら、もー。ちっちゃいものに目が無いんだからー」なんて言いながら笑っている。至極、穏やかな雰囲気。約一名を除いて。
 ごごごごご・・・。という、嫌な音を聞き取ったのは、まず加藤だった。ちっちゃいちっちゃい言われ続けた小寺のストレスは、そろそろマックスに達する。それを察した。空気だけではなく、他人のストレスまで読み取る男。加藤。
「どうもありがとうございました。宜しくお願い致します」と、去っていく背中に深々と頭を下げている橋本の首根っこを掴んで言った。
「おい。橋本。ちょっと早いけど、お前小寺連れて昼飯行って来こい」
「・・・は?」
 橋本はその言葉に、そう呟いて目を丸くした。
 実は昨日、田中が応援に来ていた。その時は今と同じ位の混みようで、一気に二人が抜けるのはきついからと、一人一人が交代で昼食を食べに行くような感じだったのに。
「良いから行って来い。で、昼飯まで奢る必要は無いが、コンビニかどっかでチョコの一つでも買って機嫌を直してもらって来い。あいつには、午後もわしゃわしゃと頭を撫でられてもらわなきゃならん」
「はい?」
 そう言われて小寺の方を見ると、髪が怒りで逆立っている・・・と見えたのは気のせいで、いろんな人に撫でられすぎてぐしゃぐしゃになった頭の小寺の後姿が見えた。ただ、雰囲気から察するに、決して心穏やかな状態でないことは良く分かる。背負っている空気が、何だか黒い。
「・・・えー・・・?」と、思わず口に出して、橋本は引きつった。加藤は簡単に言うが、これはチョコ一つで済む話ではない。昼食を奢っても機嫌を直すかと思ってしまうレベルである。
「良いから行って来い! 客と話すだけが営業の仕事だと思うな!」
「・・・」
 そんな風に格好良く言われて背中をバンと叩かれても、何となく納得のいかない橋本であった。しょうがないなという気持ち満載で、でもつまりは「しょうがない」から小寺の元に向かう。
「小寺さん」
「なに」
 振り向きもせず。
 棒読みでそう言われた時に、橋本は昼食をデザートつきで奢らなければならないということを覚悟した。


 むぐむぐむぐ。それこそ子供みたいに口いっぱいに頬張って食事をする小寺を、橋本は箸を動かすのを忘れて見ていた。小寺の頬っぺたが赤くなっているのに気付いて、一生懸命食べてストレスを発散しないとやってられないんだろうなぁ・・・。ということに気付きつつも、結局腹をすかせた小学生が、とりあえずガソリンを摂取しているようにしか見えない。まぁ、気が済むまで食べなさいよ。と、人生の先輩である小寺に心の中でゴーサインを出す。本当は、腹が満たされてきて、さっきまでのイライラが少し治まったら表れた、小寺の羞恥心から来ることに橋本は気付かない。
 もしゃもしゃになった髪を取り急ぎ簡単に直してから、二人は近くのビルのレストランに入った。展示会の会場にもレストランはあるが、客と出展者達で混んでいたので、膨れっ面の小寺と長蛇の列に並ぶよりはと橋本が外に連れ出したのだ。
 これが、実は大当たりだった。展示会の会場のレストランは、高い割に内容がいまいち充実していなかった。おまけに、小寺の機嫌を直す為の甘い食べ物も殆ど無い状態。そもそも甘いものを食べたい人は、そこを利用する頻度があまり無いだけに仕方の無いことといえばそうなのだが。
 とりあえず、メニューを見た小寺は膨れっ面のまま店員にこう言った。
「Aランチと、食後にチョコパフェ!」
 まだ奢るとも何とも言っていないのに、ストレス解消の為に、どーしても甘いものが食べたかったらしい。それを見た時に、橋本は初めて加藤の偉大さをちょっと実感した。


「腹いっぱいになりましたか?」
 チョコレートパフェの最後の一口を口に入れ、水を全部飲み干してから「ふぃー・・・」と満足げに息を吐いた小寺に、橋本は声をかけた。良い食べっぷりだった。こう言っちゃ、いい加減しつこいかもしれないが、ちっちゃい小寺のどこにそんなに入るのかと思うほど、良い食べっぷりだった。
「うん。満腹満腹」
 さっきの不機嫌はどこへ行ったのか。小寺は本当に満足そうな顔をして頷いた。余裕の表れなのか、お腹をポンポンと叩いてみせる。
「じゃ、急かして申し訳ないですが、行きますか」
 ブースが気になる。元々五人そこそこしかいなくて、ただでさえカツカツなのに、いたしかたない事情があった(?)とはいえ、二人も抜けっぱなしという訳にもいかない。小寺の機嫌が直ったなら、すぐに戻らなければ。
「うん。あ・・・ちょっと待って」
「いいです。俺、払いますから」
「ふぇ?」
 きょとんとした小寺は、鞄に手を突っ込んで、財布を出そうとした途中のまま、止まった。
「でも・・・」
「本当に、いいです」
 隣の席に置いてあった鞄を持ち上げながら、橋本は「加藤さんにそうするように言われてたし・・・」という言葉を心の中で呟いて、小寺にそう伝えた気持ちになってから。
 それに、と付け加えて、次の言葉を本当に声にして口の外に出した。
「小寺さん、凄い頑張ってたし、これ位奢らせてください」
 実際。
 小寺は良く働いていた。頭を撫でられたり、若干遊ばれていたりしているように見えたのは社内の人間にとってであって。
 そんな客に、小寺は一生懸命リーフレットを配っていた。キャラのせいなのか。ひやかしに見えた客もそれを受け取ってくれるのを、橋本は密かにちょっと尊敬して見ていた。
「だから午後も頑張って下さい」
 後輩だからか、それとも橋本の雰囲気か。そういう言葉の似合わない彼は、こんな時にそう言って笑った。
「・・・はい」
 呆然としたまま、小寺は小さくそう言って、こくんと頷いた。そして、先に出口に向かう橋本の背中を見ている内に。
「・・・」
 自分でも自覚して、熱い頬っぺたを両手で挟んだ小寺の変化を、この時はまだ誰も知らない。


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