第一章 「150cmです!」

 季節は、春から初夏に移る頃。気持ちの良い気候の日が増え、何となく気分がウキウキもしてくる、この季節。
 開け放した窓からは、爽やかな風が流れ込んでくる。
 そんな風に乗って、こんな声が聞こえてきた。
「小寺さんて、身長どのくらいなんですか?」
 齢24歳。高校を卒業する辺りから、急上昇キーワード並みに一気に増え始めたこの台詞は、ただいまトップを爆走中。多分、人生で「おはよう」「お疲れ様」の挨拶の次に多くかけられた言葉として、おばあちゃんになった自分に刻まれることだろう。
 ・・・などということは、まだ考えたくない。だって、まだ若いし。まだ、身長伸びるかもしれないし。まだ伸びるし、きっと。っていうか、この瞬間も伸び続けてるし。絶対。
「150cmです!」
 聞かれる度に、そんなことを思いながら口にしていた台詞を、今回もキッチリ口にして、小寺はキッと相手を見「上げた」。うつむいて落ち込む暇すらない。常に上を向いていなければ、誰かとの会話にならないのだ。おまけに、自分が座っていて相手が立っていたら、もう首が変な方向に曲がるんじゃないかというくらい見上げないと間に合わない。そういう意味では、ポジティブな身長だとも言える。
「・・・へー・・・」
 その瞬間沸騰した気持ちも返事もそよ風のように涼しげに通り過ぎて、小寺の顔をまじまじと見ながら橋本は言う。
「もうちょっと、小さく見えますね」と。
「がーん」
 思わず口から突いて出た効果音。その後に抗議を吐き出そうと思った小寺に、隣の席の先輩であり、人生の姉さんである163cmの田中が声をかけてきた。
「橋本君。駄目よ」
 嗜めるような、そんな言葉を言って、小寺が姉様と崇める田中は「めっ」という目をしてくれる。ああ、お姉様ー。と、小寺が呟いたか呟かなかったかは、皆何にも気にしていない。
 そして、当の小寺はそれが一瞬後には激変することを知らない。
「本当は149.8cmなんだから。2mm位、大目に見てあげなさいな」
「ぎゃー!!」
 姉御ーーー!! ひ、酷いっ。酷すぎるーーー!! 
 その時の小寺の顔を、後に橋本は名画「叫び」にそっくりだったと語った。
 田中さんにだから、去年、健康診断直後の正直な数字を教えてあげたのにーーーーぃぃぃ。(エコー)
 その、声にならない悲鳴の中。薄れ行く意識の中で(比喩)小寺は思う。
 もう、お酒を飲んでもいい歳になって4年過ぎてるのに、先週も年齢確認させて下さいって言われたなー・・・とか。
 お父さんもお母さんも何年前に生んだのか忘れてるのか、スーパーにいくと「お菓子1個買ってあげるから、好きなの持っておいで」とか。・・・それで、嬉々として一つ選ぶあたしもあたしだけど。
 デパート歩いてても、カードの勧誘のお姉さんや、化粧品販売員のお姉さんは、一度も声をかけてくれないなー・・・とか。
 あれもこれも・・・本当に・・・もう・・・っ。
 悲しみや絶望が、別のもの変化するまでには、さほど時間はかからなかった。ふつふつと湧き上がる怒りが、遠くなっていく意識(しつこいが比喩)を強引に連れ戻す。
 そして何か言おうとした橋本を涙目で睨んで、小寺は正直な気持ちを口にした。
「きぃーっ」



 歯科医療向けの材料の商社。それが、この二人が勤める会社の大まかな説明である。
 とはいえ、どうせ取扱商品などの詳細は出てくることは無い(と思われる)ので、詳しい説明は省略する。
 問題(?)は、その会社の営業部(の一部)で繰り広げられる物語。



「小寺。頑張れ! 諦めるな!」
 ある日のこと。
 中年につま先を突っ込んだような、姿かたちの男の声がオフィスに響いた。営業部長、加藤の声である。
「か、加藤さん・・・む・・・無理ですーっ」
 その加藤が叫ぶ目の前、小さな台に乗った小寺は両手を天井向けて伸ばし「うーん・・・」と唸ったものの、それ以上の伸びを見せることなく停止する。
「無理とか言うな! その言葉を吐いた瞬間から、人間の成長は止まってしまうんだ! 良いのか!? 一生その身長で!!」
「ひ・・・ひどいっ。幾ら部長だからって、言っていいことと悪いことがありますよ!!」
「俺はお前の為を思って言っているんだ!! お前には小さくてもでっかい心を持って欲しいと!」
「そ・・・そんな・・・かと・・・ぶ、部長ーっ」
「小寺ーー!」
 このまま放っておいたら抱き合って泣き出すんじゃないかと思った二人の間に、冷たい声が差し込んだ。
「二人とも、いい加減にしなさい」
「・・・」
 そのひんやりとした声に、我に返った二人は、抱き合う直前の格好のまま、声のした方を向いた。そして、彼女の名前を呟く。
「た・・・田中さん」
「ね・・・姉さん・・・」
 ちなみに、上が小寺。下が加藤の台詞である。役職は加藤の方が上だが、入社年数も実年齢も、ついでに言うなら精神年齢も田中の方が上である。
「加藤君、棚の上のファイルくらい自分でとりなさい。小寺ちゃんは羽目外しすぎよ」
「は・・・はーい・・・」
「すいませんでした・・・」
 そして180cm強の加藤は背伸びしてファイルを手に取り、それを見ていた小寺は「叫び」のような顔をした後に、しゅんとした顔で台から降りた。そして、業務はやっと平常に戻っていく・・・。

「よいしょ」
 独り言にそんなことを呟いて、小寺は床に持っていたものを置いた。人気の無い倉庫の片隅。そこに、ちんまりと置かれた踏み台。推定、30cm弱。厳密な計算をすると、多分、自分+踏み台では加藤一人に届かない。
 加藤なら、この台で充分ファイルに手が届くだろう。というか実際、背伸びしただけで事足りた。それなのに、加藤はどうしてこれをあそこに設置したのか。そして、そんな加藤の「無くてもいいもの」に自分が乗っかることを命じられ、挙句、どうやっても届かない醜態をさらす羽目になってしまったのか。段々、確信犯に思えてくる。加藤めーっ。「さん」も「部長」も無視して、思わずそう呟いてしまった。
「加藤君はね。仕事は出来るのよ」
 そんな怒りの呟きに重なって、この前田中と昼食を外に食べに行った時の一幕を思い出す。田中が人を褒めるなんて、めったに無いことだ。こと、仕事に関しては。というか、田中自身、仕事が「出来すぎる」のだ。アシスタント業務を馬鹿にする訳ではないが、誰かのフォローよりも、誰かにフォローしてもらって仕事をする方が合っているのではないかと、小寺は時々思う。
 その田中が褒めるのだから、本心からそう思っているのだろう。加藤本人には決して伝えない辺りが、余計に真実味を増す。
「トラブルにも強いし、知識も話術もあるし」
 口をもぐもぐ動かしながら、小寺は黙って頷く。田中の飾らない直球の褒め言葉は、何も考えなくても素直に受け入れられた。
 でも、田中に言われるまでも無く、それもちゃんと分かっている。確かに加藤のアシスタントである田中は、いつも多忙だ。それは、加藤の受注率に比例する。自分のスピードや知識では、とても加藤のアシスタントなどは務まらない。
「お客さんに対しても、製品に対しても、何となく愛を感じるしね」
 しんみりとした口調の田中に引きずられるように、小寺は一口を飲み込んだ後、じっと田中を見つめることになる。
 多分、それが分かっていて食事を口に運びながら、田中は急にニヤッと笑った。そして、吹き出すようにこんなことを言う。
「でも、お馬鹿さんだから」
 そして記憶の中の田中の、遠慮のない笑い声が遠ざかるのと同時に、他の記憶がやってくる。



「小寺を隠せ! 店員にばれないように席まで運ぶんだ!!」
 営業部で飲みに行った時、店の前で加藤は叫んだ。皆が呆然としている目の前で、店を見上げた加藤は呟く。
「入店時にケチ付けられたらビールがまずくなるからな」
 十人ちょっとの、小さな部署。でも、決して仲は悪くはなく、誰かが言えば(実際には主に加藤だが)こうして飲みに行くことも珍しくない。
 ない・・・のに、ある日、加藤はいきなり部下にそんな指示をした。仕事よりも真面目な顔をしているので、誰一人言い返すことも出来ずに顔を見合わせる。
 ふんっと鼻を鳴らし、加藤は店に向かって歩き始めた。しょうがないので、という感じで、皆は小寺の前後左右を囲む。スッポリ。小寺は見えなくなった。
 そして結果、滞りなく貸し切り席に到着。加藤は乾杯の挨拶でこんなことを大真面目に言っていた。
「皆。今日、この日のことを忘れないで欲しい。小寺を庇い、小寺を囲い、そうやってチームワークというものは磨かれていくものだということを。そして、小寺も忘れないで欲しい。150に満たない身長でも、みんなの助けがあれば何の問題も無く飲み会に参加できることを」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
 笑って良いのか、突っ込んで良いのか、我慢しなきゃいけないのか。みんなの視線がウロウロしている中、加藤は杯を頭上に掲げ、涙を拭う様な仕草をしながら叫ぶ。
「乾杯!!」



 その後の喧騒に紛れ、こんな記憶も蘇ってくる。
「小寺ー。お前のモルモット、ちょっと貸してくれー」
 何でもない、ある日のことだった。それがいつかと聞かれたら、勤務期間はそんなに長くは無いのに「いつ」という答えが出ないくらいに、なんでもないある日のこと。
「はい?」
 パソコンに向かっていた小寺は、そんな声に右側を向いた。営業部全体が見渡せるように、一つだけこっちを向いた加藤の席で、主がパソコンを覗いている。こっちを見ない。空耳かと思うほど、こっちを見ない。
「??」
 気のせいか。と思い、パソコンに向き直ろうとした小寺に、また加藤がこう言った。
「おい小寺。無視するな」
「何ですか? いきなり意味不明な事言われても困るんですけど」
「だからー」
 そう言うと、加藤は立ち上がってノートパソコンからマウスを抜き取り、小寺の席に歩いてきた。
「俺のハムスターと、お前のモルモット、取り替えてくれ」
「ハムスター? ・・・モルモット?」
 口半開きにして、いつもよりも真上に顔を向け、小寺は呟いた。それ、マウスっていうんですよ。と、言おうとした瞬間、加藤が小寺のパソコンから勝手にマウスを外しながら呟く。
「お前、背だけじゃなく手もちっちゃいから、いつも『あれ、マウスじゃなくてモルモットだろ』って思ってたんだよな。だから」
 そして、自分の持ち運び用のやたら小さなマウスを勝手に装着し、小寺の手をそこに乗せる。
「俺のハムスターを貸してやる。あり難く思え」
「・・・」
 ぽかん、としていた小寺は。
「ちょ・・・か、加藤君、面白すぎる・・・」
 隣の田中の笑い声で目を覚ました。
「何ですかーー! 返してくださいよー! 誰も貸すなんて言ってないですよー!!」
「馬鹿野郎。部長に逆らうのか」
「部長だって、やって良いことと悪いことと言って良いことと悪いことがあるでしょー!?」
「何だ? 俺がお前のモルモットをハムにしたのは良い事だろ。お前の手にジャストフィット。うらまれる筋合いは無いぞ。言っちゃ悪いことって何だ? 背がちっちゃいってことか? 手がちっちゃいってことか?」
「むきーっ」
 手をぐるんぐるんとクロールのように回した小寺の、頭をむんずと抑えて加藤は言う。150cm弱が、180cmに、この状態で勝てる要素は一つもない。
「小寺。そろそろ自分のリーチの短さを自覚したらどうだ。そんなんだから背もちっちゃいし、手もちっちゃいんだぞ」
「加藤さんの馬鹿ー!!!」
 そんなやり取りを経て、小寺のデフォルトのマウスはモルモットと呼ばれることになり、加藤の持ち歩き用のマウスはハムと呼ばれるようになり、加藤は外出するか社内にいるかで、ハムとモルモットを使い分けることにしたようだ。朝、モルモットが机にいると「あー。今日、加藤さんは外出か」と、小寺だけではなく、皆が思うようになった。一日のスケジュールは皆が見えるホワイトボードに書いてはあるが、何となく小寺のモルモットとハムスターで判断をしてしまう営業部であった。
「やっぱり、小寺ちゃんにはハムの方がしっくりくるわね」
 そして、田中にそう言われるまで、あまり時間を要さなかったことは言うまでもない。


 加藤は、何かと小寺にちょっかいを出してくる。
 しかし、それに恋愛感情なるものは一グラムも含まれていないことは、本人達も周りも、何となく理解している。その身長差がそう思わせてしまうのか。二人で並んで立っていると、例えば男子高生と小学生にしか見えないのだ。または、歳の離れた兄弟でも可。故に、何となく微笑ましいとさえ思わせつつ、加藤のからかいは加速し、小寺がキィキィ言う頻度が日に日に増していくのである。


「何だ。小寺。お前は犬派か」
 ある日、小寺のマグカップを見て、加藤はそんなことを頭のてっぺんより遥か上の方で呟く。
「犬派?」
 そう言われて、小寺は座っていた椅子からひっくり返るんじゃないかという位真上を見上げてから、加藤の指差しているあの有名な遊園地のキャラクターを見る。
「お前はねずみよりもアヒルよりも熊よりも犬派なのか。そうか」
 ふむふむと、加藤は真面目な顔をして頷く。
「あの・・・加藤さん・・・」
 若干引きつった顔で、小寺は加藤のワイシャツの袖を引っ張った。
「ねずみとか、アヒルとか、熊とか言うと、女の子とか子供の夢が壊れるんで・・・ちょっと・・・宜しくないんじゃないかと・・・」
「俺は狸派だぞ」
 小寺の主張など、まったく無視をして加藤はふんと胸を張って言う。
「狸? 狸なんていましたっけ?」
 その言葉に、小寺は思わす目を丸くしてマグカップのほうを見た。例の遊園地。世界的に有名ではあるが、実はさほど興味が無い為、あまり詳しくは無い小寺は思わず首を傾げる。むしろ、加藤がどうしてそんなに詳しいのかということに興味を持った。ねずみだのアヒルだの言うくらいだから、加藤もそんなに「好き」ではないのだろう。だとしたら、どうしてそんなに詳しいのか。誰かとデートとか? って、誰と?
 そもそも、加藤に彼女はいるんだろうか? 気になる。ただただ、単なる興味で気になる。
 そんな、ちょっとピンク色の妄想をした小寺に、遥か上空から加藤が呟いた。
「夢があるよなぁー。ドラえもん」
「ぎゃふん」
 ぎゃふんとしすぎて、ぎゃふんとした時に限って決して出てはこないこの効果音を、小寺は思わず仰け反って口にしてしまった。その羞恥心から、顔を真っ赤にして尚も反論を試みる。ついでに、ピンク色はどっかに吹っ飛んだ。
「加藤さん・・・あれ・・・猫ですから・・・狸じゃないですから・・・」
「小寺。ちっちゃいお前に言っておくことがある」
「・・・何ですか」
 ちっちゃいという言葉に若干イラッとして、小寺は頬を膨らませながら呟いた。
「幾らお前がちっちゃいとはいえ、もう成人している訳だから、中身は大人な訳だ。な?」
「・・・」
 それを言うなら、三十路でどでかい加藤は何なんだ。と、正直思わずにはいられない小寺だった。中身は一番やんちゃ坊主の癖に。
「だったら、男は見かけではなく中身だということに、そろそろ気付いて欲しい。もっというなら、ありのままの姿を受け入れる包容力も欲しい。ついでに笑顔が可愛ければもっと良い」
 途中から小寺への要望というよりも、加藤の好みになっているようだ。脱線しているようなので、熱く語る加藤の向こう側を遠い目で見ながら小寺は、あきれた口調でボソッと呟いた。
「ドラえもんは、猫型ロボットです」

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